ラクー=ラバルト「思弁的なるものの中間休止」(承前)

悲劇=カント以後の思弁的思考の母体。

弁証法、まえの日記)

演劇とは、表象の構造やミメーシスであり、隔絶され保護され閉ざされた空間である。
そのなかでは、死一般が、再び消滅すること、そして「自己」を観照し、反省し、内化することが可能であるとされる。バタイユにとってそれは犠牲=供儀の空間であり、かれはコメディー/喜劇であるという。

絶対的観念論(まあドイツ観念論の純粋形態ということか)の初期において、思弁的過程そのもの(弁証法的論理)は、悲劇をモデルとしていた。

ここ、ヘルダーリンヘーゲルシェリングの共同作業。

p55 Dichtung(根源的詩作、すなわちエクリチュール、書記)は、<古代>との、ほんのわずかだが暴力的な差異のうちに切り開かれたこの時代によって、要請される。

思弁的なもののデマルク:脱標識化:脱記号化‥境界剥奪

弁証法的プロセスと、アレティア的構造との関係、出来事との関係。を、問う。

ペーター・ションディ「悲劇的なるものに関する試論」
シェリング「独断主義と批判主義についての書簡」
オイディプス、自己意識、知への欲望の、初期段階の具現化。

●ミメーシスのみが、否定的なものを存在へと変換し、本質的にテオリックかつマテマティックな逆説的な快感の獲得を可能にする。p68
 この快感は、表象がすこしでも正確であれば、堪え難いもの、おぞましきものの表象化=再現前化からでも得ることができる。
 ただ、ミメーシスのみが、「悲劇の快感」を可能にする。
いいかえれば、死であれおぞましきものであれ、スペクタクルと化すことにより、「正面から凝視することができる」。
 
 残酷演劇あるいは、恐怖について。ホロコーストコメディのために。

シェリングと悲劇の詩学。p69

p73近代的なるもの…

翻訳

「思考を絶するもののもとでの彷徨」ヘルダーリン全集4、57p

ギリシア人の原初的なパニック状態での跳躍。カタストロフィックな侵犯。

p79悲劇=もっとも厳格な形式。、絶対的オルガノン。opus metaphysicum(ニーチェ「反時代的考察」)

トナリテ調性
悲劇におけるイデアールな根本音調(無限へ向かう主体的な憧憬の。思弁的。)
      ヒロイックな芸術的性格(不調和、アゴーン、矛盾の音調)

アドルノの「マーラー


●p84遡及ー退行運動。
 思弁的なものを内部から脱臼させ、中断させ、痙攣状態に置く、運動。

オイディプスの過剰な解釈→侵犯