マンゾーニ

イタリアの19世紀でいうと、なんといってもアレッサンドロ・マンゾーニ(1785-1873)。「いいなづけ」(1827)もまだ読んでいなかった。でも、冒頭のコモ湖の描写だけで、ああと感嘆した。なんという描写力。
マンゾーニの母方の祖父がヴォルテールの友人であったせいもあって、ヴォルテール/百科全書派には強く影響されたという。ポール・アリーギ「イタリア文学史」クセジュ文庫によると、マンゾーニを貫く規則とは、マンゾーニの1823年の発言「主題は真実、目的は効用、手段は興味」にある。
 1808年、エンリケッタ・ブロンデルと結婚し、その影響下に啓蒙主義的な無神論よりジャンセニズム系統のカトリックに改宗する。リソルジメント国家統一)の精神的指導者。マンゾーニの国葬を機にヴェルディが「レクイエム」を作曲。
 「いいなづけ」を翻訳された平川祐弘さんの解説によると、meticulous care几帳面な入念さにおいて、ダンテに連なる。meticulous careは、アウエルバッハ「ミメーシス」におけるダンテ「神曲」地獄編第十歌論に由来。外面の動きと、内面の動きとの客観的な正確な関係。クローズアップ。造形美術的な、imageの彫刻。…

 論文「歴史小説についてDel romanzo storico」(1828) では、「混成ジャンル」の不可能性を示そうとしたという。まあどうせ、この原文、読めないから、推測すると、ロマン派的な様式混合を批判したということか。そうすると、政治的なリソルジメントのみならず、審美的にもリソルジメントを求めていたのか。国民国家論的にも典型的な事例。