ライプニッツ・17c

sun.セール絡みでライプニッツ関連。「包摂」。
違うものに、同じものを読み取るということ。
ああまさにセールはライプニッツ主義だ。
ラッセルの「西洋哲学史」のライプニッツの項目が面白い。
ライプニッツが当時公表した学説は、ヴォルテールらに揶揄されたようなこの世界の必然性=いまの世は最善!という風に受け取られても仕方のないものであったが、未公表の学説において、ライプニッツはやばいのである、とのこと。続く。

ライプニッツは学生のときにも読もうとしてのだが、スコトゥスとかアクィナスとかと同じで、はまらないと読めない類のもので、結局ははまらないまま、来てしまっていた。
でもずっと気にはなっていた。

でなにが判然としないって、当時の状況。ライプニッツの言葉が、直接状況に対応するとかそんなことではなくて、テキストのコンテキストとしての状況というやつ。時代。
まだこれもまだ紐解いたばかりだが、デカルトが晩年はオランダにいたということ、そうしてもちろんスピノザもいて、レンブラントフェルメールもいたという17世紀オランダ。
で、日本も長崎出島で、オランダ。なるほどこういう具合に出入り口はできてたのか。
 知ってしまえばなんということもない話だが、こうした自明のコンテクスト、うやむやにしていたら、それが障害になる。
 宗教改革ユグノー戦争とかも、これから。