芸術と政治イデオロギー

ベロウに戻れば、私はそれでもやはり追悼の拒否はできない。これは芸術のレベルと政治のレベルとは区分する必要があるということだ。
 パウンドがファシストだから、ハイデガーがナチだから、セリーヌやジュネが反ユダヤ主義だから、かれらの仕事が、価値を失うことにはならない。
 芸術作品とイデオロギーは関係する。しかし一対一対応的に関係しているわけではない。
芸術は、芸術の歴史のなかで、断罪され判断される。芸術のなかにも、美学イデオロギーがある。
 これは政治と芸術とをまったく無関係にしてしまうことではない。

うーむ。あまりに一気に語ろうとしすぎている。しかし問題の根幹はすぐれてシンプルではある。ソール・ベロウ追悼。