神を巡る争い

パレスチナ情報センターに、 イスラエル支援企業リストがある。
 http://palestine-heiwa.org/choice/list.html
コーラやマクドナルド、ディズニーは有名だが、マイクロソフトも、スターバックスも、Tシャツのヘインズやチャンピオンも、ネスカフェエヴィアンも、イスラエル支援企業であり、その商品を購入することは、イスラエルを支持することに、なる、とされている。
 とりあえず、それはそうだ。しかしそれらの企業の商品を使用せずに、別の企業の商品を買うことで、解決にはならない。
 それはイスラエルパレスチナとのどちらを擁護するのかという大問題の下位問題?である。
 
 むろん、さらなる根本問題は、どちらの立場を選択するのかということより、とりあえずは和平であるわけだが、一大衆として、どのようにそのこととコミットできるのか。
 ユダヤ教キリスト教イスラム教の、一神教の歴史内問題に。
 
たとえば仏教という異教徒として、いかに発言できるか。
異教を持ち出さずに、資本主義社会を生きる一大衆として、つまりは一資本主義者(相対的に)として、どのように発言できるのか。
 
 宗教戦争、神の解釈をめぐる争い。だれが悪魔で、だれが神の子なのか。

しかしこの点に関しては、私はジュネと意見と同一にする。悪に魅了されずに、悪を断罪することはできない。すなわち、善を、悪なしに、単独で、よきものとは、できない。
 絶対的な善はない。同様、絶対的な悪もないのだろう。
 それゆえ、絶対的なものとしての、相対性がでてくる。

しかしながらこれは神学・哲学的な問題にすぎない。
政治問題は政治のフィールドで考えるべきだ。
とはいえ、政治の現場もまた思考形式が決定する。
神の解釈をめぐる神学的な言語ゲームが、結果として戦争を招来しているわけだ。