テオクラシー、デモクラシー

宗教戦争のことも、宗教史を繙けば、原始キリスト教は排斥されていたが、のち国教化され、神権政治テオクラシーにいたる。そして異端審問。マニ教に由来するとされる南フランスのカタリ派魔女狩り…。
そうして、現代も、近代が発明したデモクラシーを通過しているが、理念的には、テオクラシーとなっている、ともいえそうだ。「神の国」、アメリカ。国家神授説?アメリカン・テオクラシー。
 近代はまた、社会契約という概念も発明した。それを無視する現在の「帝国」、といわれている。国際法を無視するユニラテラリズムという話し。
 アメリカは、政治的手続きは、デモクラシーであって、「帝政」ではないし、また近代市民革命以前の「絶対主義」でも、また王権神授説でもない。いや、「ない」ではなく、なかった。はずだった。
 なぜデモクラシーつまりは、国家/政府を国家構成員である「国民」の選択(選挙)によって作って行くというやり方を、手続き上はとっているのに、結果、「帝政」ないし「絶対主義」になってしまうのか。あるいはそう「見える」のか(「見える」というのは、その「実態・実体」についてはまだ不明のため)。
 しかしこのデモクラシーの問題点は日本でもあるいはどこぞの国でも同じだろう。直接民主制ではないからだ。…とはいえ、小さな集団においても、「統一見解」を持つことは難しい。
ドグマを選択しないかぎりは。…