3-3. 上部構造と下部構造

 それと、私は括弧つきで、「資本主義者」であると自己規定した。それはもちろん、素のかたちで資本主義を肯定したいがゆえに、そういっているわけではない。現在、生きる社会は、計画経済ではなく、自由市場によって構成されている。そしてそのなかで時に不平不満にまみれ時に満足しながら、現行の資本主義を生きています。まずはその事実関係をどう考えればよいのかということ。つまり今日の日本社会で、共産主義を標榜するとして、その物質的基盤はいかなるものか?ということです。
 この資本主義社会に生活している以上、その体制を、とりあえずは、経済行為を通じて、つまり唯物論的に、この社会を、支持していることになる。

それでは、わたしたちは、この資本主義社会に生きる限り、資本主義以外の選択肢はないのか?
あるいは、物質的基盤からひとは逃れることができないのか?
 資本主義を批判するというとき、それはいわゆる「思想」的な問題である。「意見」でもいい。「イデオロギー」でもいい。そうした言語体系が上部構造であり、それを物質的に支える経済的な「構造」が下部構造だとして、上部構造は、下部構造に絶対的に規定されるのか?
 規定される。
 規定されるとして。では下部構造が資本主義を前提にしている限り、その主体=発話者が「私は資本主義者ではない」と自己規定することは可能なのか?
 上部構造/下部構造の認識図式を採用する場合、この矛盾をいかに解決するのか?

つまり私は、上記のことを解決できない。解決できないがゆえ、私は泣く泣くw「資本主義者」としたのです。