2-2 派生問題:学習について

で、勉強は別である。勉強は、情報摂取なので、こういう考え方もあるのだと、まずは知って、そのうえで、どこが問題か、どこが間違っているのかの、批判的な検討に移る、という段階がある。その段階を飛び越えていくことは、語学などと同じで、不可能というか不合理である。入門者が、上級者レベルの問題を解くようなもの。
 しかしここもまた難しくて、「勉強」らしい「哲学」を学習することと、市民・公共生活に関わることを「勉強」することとの間には、また差異がある。
 たとえば、税金なり法なり市場分析なりは、「学習」されるものというより、一市民の「義務」として、知らないといけないわけだ。
 つまり理念的には、一市民は、すべての法律、行政システムについて、正確な知識を持つことが必要であるとされる。しかしながら、それは実際上は、無理、すくなくとも非常に困難である。民法だけでも膨大な量がある。
 しかもかりに民法を完全に掌握することで、ことが解決するわけでなく、この手の「学習」は、ほぼ永遠に続くかのようである。
 結局、そうした社会的?知識は、断片的なまま、あるまとまりをつけた時点で、知識の像が形成されることで、「了解」される。