ステレオタイプ、公式フレーム


いま読んでるピカソ本の対象は、1907年に描かれた「アヴァンギャルド」の記念碑といわれている「アヴィニヨンの娘たち」という裸婦群像画なのだが、その分析がじつに面白い。
 ピカソって、それこそ、日本だと、とりわけ「公認」なもんで、これまで展覧会いっても、なんかもう分かったよ、みたいな気がして、それはやっぱり混雑のせいだったりするわけだが、でもことはブラック展でも同じで、つまりブラック展の方は別に混雑していなかったのだが、なんだろう、やっていることが、わかり安すぎて、あーあーと嘆息したことを思い出す。でもそれは、いま考えれば、こちらの認識フレームにおけるステレオタイプ=偏見=先入観の問題だったわけだ。


あーこのへん入り組んでいるので、ちょっといまは中断しよう。

ステレオタイプ→公式のフレーム。つまり「教科書」というやつだ。評価軸…)


ステレオタイプについては、クロソフスキーが論じていた。あとはフローベールの紋切り型辞典。

で。