テクスチャー(織り物)、引用の政治学?

私がとりあえず面白いと思える水準の話は、カテゴリーの政治学でも、承認を巡る争いの話でもなくて、ピカソが、マティスマグリットの肖像」の鼻の描写への、引用=言及していたことなどである。それは著者ヘルディングによれば、「からかい」であったという。(しかしここは分らないのだが、ピカソがやったことは、「からかい」ではなくて、「盗み」であったのではないか?それゆえマティスは怒ったのではないか?いずれにせよ、分らない。)
 こうした「内実」というか、作家がその筆先をすすめるその時に、なにを行うかということ。そして、それが距離を置けば、ああこういうコンテクストがあったのかと納得=再認識するわけだが、その筆先における、幼児的と、いまはとりあえずいいたいような、ある盲目的な行為。
 ひとことでいえば、トライアルアンドエラー。
つまり私は創造の現場について、その現場における実践について、言っているわけだが、これはようは、私もひよっこの作り手として、なにをどうすりゃいいんだという、学生的な興味関心を持っているということを、再認識してるにすぎない。いわゆる「表現」論。
(いやそれだけでなく、例えばピカソがなにをやったのかについていまだ認識できてないということもある。)

で。これも飛ばす。