変奏:超越とかロマン主義
最近、パニック状態が続いているので、ブログモードに全然入れなかったのだけれど。
かの土曜日の地震の時、国分寺までひさびさの稽古のために行こうとして、駅に着いたら、ものものしく行列が出来ていた。はじめはなんのことか分らなかった。なんかお祭りでもあるのかとか思って、電光掲示板見て、ああ、地震のせいかと分かった。
それでも、動くだろうと待った。30分過ぎる。時折、思い出すようにイライラがつのる。しかし、ホームより覗ける大きな木の動きと、久々の天使館での稽古に気分が昂揚することで抑えた。
結局、問題なく、目的地にまで到着できたのだが、この時、用件が用件だったら、と考える。
地震でもテロでも宇宙人襲来でもいいが、パニック状態に社会が入ったとき、それを上回る用件というのはあるだろうか。
ないなw
やはり生き延びることが最重要なことだ。これはとりあえず本能の領域。
むかし笠井先生が、踊っているとき、大地震が来たらどうしますか?と聞いて来られたことがあった。
建物が倒壊していくなか、踊れるか?
常識からすれば、そんなことは不可能。
ロマン主義に徹すれば、踊る、と答えるしかない。
ここは、なにを賭けるのか、その賭金のことだ。
生命を賭けるのか、生命よりもなにかに賭けるのか。
生命を超えるもの。
超越衝動。
本能を裏切るような事態。
狂おしきもの、とか。
どちらが好ましいかとかそういうことではない。
問題はここでもまた、ひとこと、「美」なんだ。
ロマン主義というのは、とりあえず簡単な指標をいえば、主観主義である。
観念論的倒錯。