ウォルコット、歴史の破片

鏡といえば、社会の歴史的展開にも、あてはめることのできる隠喩でもある。

デレック・ウォルコットの論に二週間ほど前、出会って、ある視野が開けたのだが、それについて書かないままできた。
 
 …そのなかで、アフリカより奴隷貿易によって西インド諸島まで強制連行されてきたアフリカ人・カリブ人・クレオール人…にとって歴史はなく、いまやアメリカの割れた鏡のような、破片としての歴史しかないのだ、といったような趣旨のことが書かれていた。これについては、きちんとノート化しようと思っていたが、時間を割くことができなかった。

いまはなき小沢書店の「双書・20世紀の詩人」の一冊として出版された「デレック・ウォルコット詩集」に収められた「The Caribbean:Culture or Mimicry /カリブ海ー文化あるいはミミクリ」と「The Antilles-Fragments of Epic Memory アンティル諸島-叙事詩的記憶の断片」(いずれも抄訳)の二つの論。

 ウォルコットは、西インド諸島のセント・ルーシャ島の首都カストリーズに生まれた詩人である。

この小沢書店の名双書については以前も、bとともに嘆いたものであったが、「以下続刊」のラインアップを見ると、ジョイス、モンターレツァラヒメーネスD・H・ロレンスルネ・シャール、ゴットフリート・ベン、パゾリーニブルトン、ヒーニー、ソ・ジョンジュ、シュペルヴィエル、グレイブス、T・S・エリオット、イェイツらの詩集が出版される予定であった。


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自宅に戻ってみると、ドゥボールの本がなぜか見当たらない。誰かに貸しただろうか。ともあれ、いまは応答できない。と、こう書くと、また自分の考えはないのかよ!と、森下くんはそのようなことはいわないが、別の声が聞こえてくる。それに対しては、スペクタクル社会が問題であるということは了解できても、それではそれがいかに問題であるのか、また、その批判的視点から新しい社会のイメージを展望できるのか…分からない。と応答するしかない。


昨日はさる研究会で「アラビアンナイト」。稽古を中断して行ったもので、中途退場もうしわけありませんでした。
今日はフリッツ・ラングの「スピオーネ」。ひどく「モダン」である。1928年の時点でここまで到達しているとは。件のムルナウファウスト」は1926年。この二つの違いについて考えると、いろいろ分かってくるかもしれない。