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「ヴォイツェック」振付チェック。中野さんより、文学座の観客ギルドについて聞いた。名前を忘れたが、そんなものまであったのか。そのあと、西武のお膝元のカフェで北田暁大さんの「嗤う日本の「ナショナリズム」」を一気に読む。丸山真男の「日本の思想」のように、秀逸な分析である(ちょっとほめすぎか)。
連合赤軍事件(自己否定/反省、ポジショニング…)を踏まえたうえで、消費社会的アイロニズム(糸井重里、渋谷のタウン誌「ビックリハウス」=読者参加とパロディ、西武ーPARCO)、消費社会的シニシズム(田中康夫、川崎徹、「元気がでるテレビ」=純粋テレビ)、ロマン主義的シニシズム(感動のファシズム、2ちゃんねる、ナンシー関)、そしてスノッブ帝国とローティ的アイロニズムというパースペクティブは、一読に値すべきものだ。
とくに私は「ビックリハウス」について知らなかったので、この見取り図で、視界がかなり拓けた感がある。
スローターダイクの、アイロニズムがリミットに達したとき、ナイーブなまでのロマン主義が回帰するという理論を踏まえてあるが(p211)、上記の歴史図式の「ロマン主義的シニシズム」という項目は、それこそ直接、「消費社会的ファシズム」と呼んでもいいような気がする。まあ藤田省三なりの「安楽/生活の全体主義」論はすでにあるから、たしかに、アイロニーがなんであるか分からないまでに高度なスノッブとして洗練されたじゃぱにーずのためには、かく言うのがいいのかもしれない。
しかし思い起こせば、私はひとりで連合赤軍やってたのかもしれないw ひとりで「総括」。しかし氏もいうように、フォルマリズム・ゾンビはたしかに回帰するのだなw
それにしても宮台真司や廣松渉もそうだが、「亜細亜主義」にはたしかにグッとくるものがあるのはたしかである。宮台さんがどう論じているか読まないといけない。反中/反日/反韓に居直るより、「大アジア主義」の(不)可能性に賭ける方がましだろうし、また、それ以外に、東アジア社会の関係は、どうにもならないだろう。まさに泥試合か。うーん。アジア主義か、日米同盟か。あるいは鎖国か。いずれにせよ、「ナショナリズム」を否定するにしても、大問題が寝転がっている。
学生のときの殺伐とした感覚に戻されたまま、ジュンクへ。
ギアツ「インヴォリューション」NTT出版が欲しい。
あと、ファスビンダーが出てた。
ハロウィンが来るまえに着替え。