ドラマ、ロジック、ゲーム

チェスは、だいぶ勝つようになってきた。といっても、難易度を下げたからだがw
もう100ゲームはしただろうか。最初は、難易度設定のことを知らないでやってたから、ほんとうに、おそろしいは腹立つは、焦ってばかりいた。なんのことはない、チェスのゲームの規則を正確に思い出せないままやってたからだった。
 パターンというか、なんというか、駒でいかに蜘蛛の巣のように、防御/攻撃線を張るか。
まだ、難易度を徐々にあげている段階だが、このまま上がっていって、自分も上達していって、ストロンガーなゲームになったら、なにをどうしているのだろうか。まあそれはともかく、いまはふつうに、ケソケソ勝ち方を勉強している。
 自分より弱い相手(難易度の低い=ファースター設定)や、また、難易度の高い設定から見た弱い私などに共通するのは、焦って、後先考えない手を打ってしまうということ。そしてそれは無駄だということ。
 それはそれでいいのだが、しかしまだ、難易度を上げるのが、怖い。絶対にすきをみせないストロンガー。
よせばいいのに、何度も何度も挑戦して、ボロ負けする。しかし、デンノッホ!とまた負ける。朦朧として、負けるオートマトンになって(ひひひと笑うようなイメージ)、マゾヒスティックな快楽に、しばし浸かりもした。
 いまはそんなジャンキー状態も、また、やりはじめたころの興奮も覚め、まったりと、戦略の立て方をいろいろ模索している。
 朦朧としていた段階のころ、チェスの盤上から、戦場の声とか映画的なスペクタクル的なイメージが湧いてきたりもした。それはもちろん、チェスの駒が、中世ヨーロッパの戦争をモデルに、デザインされているせいだ。
 歩兵=ポーン、騎馬兵=騎士=ナイト、僧正=ビショップ、城=ルーク、女王、王。
キャスリングをやったからといって、守られるわけではない。攻撃しないと、やはり負ける。将棋でいう穴熊のようなことではない。チェスにも、どうやらクレージーホースという形式があって、これは将棋と同じく(といっても将棋についても知らないから、将棋にもいろいろ形式があるのだろうけれど)、穫った駒を使うものもあるようだ。
 弟が詳しいので聞いてみると、チェスには引き分けがあるが(実際、一度ドローになった)、将棋にはないとのこと。あと、コンピュータよりも、やはり名人は、違うとのこと。
 フェイントの掛け方とかだろうか?発想とか?
 コンピュータはたしかに、ガチガチな感じである。ストロンガーは、そりゃもうガッチガッチで、悔しいったら、ありゃしない。ファースター、つまり自分でも勝てるようなレベルを見ると、やはりパターン認識のドットが粗い感じがする。組み合わせの問題とか。コンピュータでのこうしたゲームがどのようにシステム構築されているかは知らないが、「これもある」「あれもある」といった、可能な組み合わせ=読み込みの度合いの量とでもいおうか。
 コンピュータだと、ファースターでも、失敗というのはない。遊びがない。もうどうにもならなくなっても、残ったポーンを進めたりする。
 なんというか、絶対に、「最適な組み合わせ」を、選ぶ。
 経済学での「合理的な主体」のようなもの。
 このあたりの話のひだを追って、まったりと展開していきたいのだが、めんどくさくなったので、はしょると、人間性というのは、ノイズのようなものかもしれない。
 「合理的な主体」にとって、疲労などというものはないわけだし、それゆえ、失敗のようなものもない。
コンピュータとの戦いをちょっとばかしやって思ったことは、ガチガチ論理には、たしかにドラマはありません。ドラマやスペクタクルを夢想するのは、「合理的主体」のガチガチロジック・アタックに延々負けていくなか、夢想したものだ。
 いまの私のゲームのレベルだと、まったりしているわけだが、それはそのようなドラマ(あるいは感情?)が消え去り、ロジックとロジックつまり組み合わせのゲームを、つまりボードゲームらしいといえばらしいことになってきている。
 しかし、これがまたストロンガーに上げると、どうなるか、まだ分からない。