TWIN PEAKS/ FIRE WALK WITH ME:近親相姦

ツイン・ピークス : ローラ・パーマー最後の7日間 [DVD]

ブクオフにあったので、購入。見たものとばかり思ってたら、見ていなかった。すげえ面白い。傑作。
テレビシリーズは全編見ていないので分からないが、この「FIRE WALK WITH ME」が一応、ローラ・パーマー事件の真実=結論を描いたものとされているから、それから推測すると、「ツイン・ピークス」は、「マルホランドドライブ」と同様の夢の構造モデルで作られていると思われる。
 高校のときに見たものはテレビシリーズの総集編だったのだろう。
ローラの母が、ローラが消えた日を回想するシーンで、ローラの部屋に、ボブらしき男が、心霊写真のように潜んでいたあの映像は、実に怖くて、きゃっきゃとoとそのシーンについて当時話したものだった。回想シーンの前に、たしかその部屋を覗くシーンがあり、巻き戻して見ると、ボブの半顔はなく、なんだーと思ったものだったが、しかし「ツインピークス」といえば、あの偉大なwチープトリックで気が済んでしまったのだった。リンチを見なくなったのは、「ワイルドアットハート」が理解できず、前半はともかく後半およびラストはギャグだとしても、まったく面白くなかったからだった。あれ以来、昨年「マルホランドドライブ」でリンチ再デヴューをはたすまで、10年以上経った。「ワイルドアットハート」も見なおしてみよう。
 そのボブのシーンは、たまたま撮影時のハプニングで美術スタッフが隠れ損ない、あのように形成されていったという。このハプニングが、「ツインピークス」の原点ともいわれているようだ。
 ここで確認したいのは、デイヴィッド・リンチの、創造行為における方法論である。このハプニングを活かしたということではなく(そんなのはリンチからすれば当たり前のことだろう)、ローラ・パーマー殺害の犯人をどのように構想したかということだ。
 この「FIRE WALK WITH ME」では、ローラ殺害の犯人は変態実父となっているが、私が見た総集編では、カルト教団のような集団の教祖のようなリーダーであるボブであった。
 しかしこれは斉藤環さんのような言い方であるが、リンチともあろうひとが、その程度のアイデアで、構想を満足させることは考えられない。そうすると、当初より、実父を犯人としたうえで、そのめくらまし的な犯人=容疑者として、カルト教団のボブというキャラクターの創造に至ったのだろう。
 こう考えると、リンチの創造力のものすごさが分かる。やはり、天才と呼ばれるにふさわしい、類まれなる作家である。

 とにかく、「ツイン・ピークス」を全編見たい。それで、DVDが出てるというので、調べると、第一部のボックスしか出てない。これはおかしいでしょう。まあ字幕作るのが大変なのか、というか、たぶん、ファーストボックスがあんまり売れなかったからだろうが、ファーストボックスを買ったひとたちのためにも、きちんと出すべきだ。販売メーカーがどこか分からないが、「ツインピークス」が面白いと思ったから、権利金買ったんだろう?
 まあとにかく出してください。買いますので。

 それにしても、この「FIRE WALK WITH ME」、痛烈なアメリカ社会批判ともなっている。「幸せな家庭」の真実というか、その表象で隠蔽されている暴力。実の娘を性的に虐待する父親リーランド・パーマー役のレイ・ワイズが気持ち悪すぎて、最高である。最悪な父親というキャラクターでは、これは「シャイニング」を上回る最悪振りである。 
 昼間は、ウルトラ厳格な父親であり、夜は色情魔という、「ジキルとハイド」型の分裂としても最悪。しかもリアル。いかにもこういうひとはいそうである。もちろん、日本にも。
 近親相姦系暴力としては、手塚治虫の「奇子」や、内田春菊の「ファーザーファッカー」などがあるが(他にもあるのだろうが、いまは思いつかない。)、実父によるレイプないし性的虐待というのは、語られるにはあまりに重く、あるいは、レヴィ=ストロースの親族研究にあるような、社会の根本ルールとしての近親婚の禁止ということから考えても、相当ヤバイ話しではあるので、少ないようにも思う。
 その意味でも、リンチが提示した「幸せな家庭」に潜む狂気と暴力の描写は、比類なきものであると思われる。というか、よく上映禁止にされなかったな。あ、だから、ひねりにひねったのか。
 ネットの掲示板などでは、分かんねえよとか面白くないとか、ボロクソに書かれているが、「世界の中心で、愛を叫ぶ」とかの白痴的メロドラマ(未見だが、そのタイトルのあまりといえばあんまりなダササから十分想像できる)を見てカタルシスを体験できるような輩、あるいはメロドラマ的な線的な意味の系列で、解釈し、納得する者には、たしかに出来損ないのようにしか映らないだろう。それはたとえばエドゥアール・マネピカソチャールズ・ロートンの「狩人の夜」などが提示した新基軸を理解できずに非難した輩と同種なのである。
 「ツイン・ピークス:ファイヤーウォークウィズミー」は、「ブルーベルベッド」と「マルホランドドライブ」という二つの傑作に挟まれたものである。「ブルーベルベッド」がそのシンプルな構造によって、リンチの世界をより直接的に提示できたと見なすなら、「マルホランドドライブ」はその構成美とすらいえる超絶技巧な構成によってより抽象化に成功することで、高度な表現に到達している。そして、この映画版「ツイン・ピークス」は、「ブルーベルベッド」的な色彩的な官能性と、「マルホランドドライブ」的な構成美との両方を併せ持つ、その意味で、油の乗り切った、イキのいい傑作であると私は思う。
 ちなみに「マルホランドドライブ」は、たしかにすばらしく、私は深く感動したのであったが、その触覚的な官能性(タッチtouch)は「ブルーベルベッド」よりも弱いと感じたのである。だからといって、その到達されたレヴェルが価値を下げるということはないのだが、それでもやはり悪い意味での「老い」をなんとなく感じてしまって、少しさみしくもあったということもあった。しかしまあ「ストレートストーリー」を作ったあと、仮にリンチが死んでしまったことをシミュレートすると、あれが「遺作」となることは、最悪だと思われるので、よかったと思う。「ストレートストーリー」は、悪くは無いが、しかしリンチが自身のマニア性に疲れたため、そのリハビリテーションで作ったようにも思う。決して、悪い映画ではないのだが、あれをもってリンチということはできないだろう。その意味で、余技的な作品ということ以上ではないと思う。
 
cf.近親相姦について思いつくままのデータ。
 古代イランのゾロアスター教では、近親婚が奨励されていたという。これは高貴な身分に限るものだったのだろうが、つまりは純潔な血を保持するというコンセプトである。これは、日本の天皇制にも類推される話題である。
 もっとも有名なものとしては、ソフォクレスの「オイディプス」がある。

 夢野久作の「ドグラマグラ」も兄と妹の悲恋が重なっていたはずだ。「うーん。しかし、この近親間での純愛と、近親間での性的暴力とは、同じ平面で扱うことはできない。

リンチのサイトhttp://www.davidlynch.com/
 しかし有料。スポンサーをつけていないからだと書かれている。
 たしかに、ハリウッドマーケットからすれば、貧民なんだろうな。