ブレヒト・アリストテレス・プラトン

 その印象はその後更新されないままだったが、yさんとのやりとりのなかで、「国家」を読み直したところ、なるほど「正しさ=正義=真理」というプロブレマティックのなかでミメーシスが批判されていて、これはブレヒトに近いのではないかと、その時、書き込んだのを覚えている(もっともその書き込みは、途中から、延々たるモノローグになっていたのだが)。
 ブレヒトが、アリストレスのカタルシス論を批判していることもその筋では有名である。プラトン批判をしたアリストテレスを批判するブレヒトが、プラトンに近づくのも、言説のポジショニングはそんなに多様ではないわけで、どちらかといえばブレヒトプラトン寄りになるのも論争構造上、しかたない。ブレヒトプラトンをどのように考えていたかは知らない。ブレヒトは詩人でもあったから、詩人追放論のプラトンなんて読むこともなかったかもしれない。