ボローニャ9/2:道

フェスティヴァルディレクターのマッシモらとみなでランチ。レストランで生ハムとチーズなど。疲れているし、またこの間アルコールを控えているので、アッカ=水だけにしようかとしたら、店のおっさんが愛嬌のある顔でヴィーノを飲まないのか?と言われ、たしか白ワインを飲む。
 それから、下見。なぜかマッシモは図書館すらをも案内してくれる。結局、だれも図書館を利用はしなかっただろうと思うが、図書館はとても感じがいいところだった。CDの数の多さが、半端なかった。日本での中央図書館などでもけっこうあるといえばあるが、比較にならない量だった。マッジョーレ広場では、おそらくはファシストと戦ったレジスタンス抵抗運動でなくなった人々の写真が、飾ってある。どこかで読み、またなんのデモだかは忘れたが、ガタリらが参加した集会もボローニャで行われていた。そしてなによりもここはパゾリーニが生まれ、大学で学んだ都市でもある。また、修道院とは異なる形での、いわゆる「大学」という機関が整えられたのもここボローニャ大学であるという。
 私の母校の創設者である梅根悟先生が、大学の理念的形態あるいはその本来の形態としての「ウニヴェルシタス・マギストーロルム」を論じたときにも、ボローニャ大学の名が引かれてあった。ひとりのragazzo di vitaであった私が、とにかくもう学校にうんざりした後に、とある左翼系の先生に教えられ、選んだ大学である和光大学に入学してから、5月くらいにはやっぱり大学を中退しようかと考えていたとき、梅根先生の言葉で引き止められたのだった。おかげで困難な道を歩む結果になってしまったが、でもあそこでragazzo di vitaのままだったら、いまごろどこにいたのか分からないことを想像すれば、…いやいやどんな道も困難だ。あと、「道」つながりでいえば、「すべての道はローマに通じる」というアホみたいなフレーズもあるが、その諺だかなんだかよくわからないイタリア観光スローガンみたいな、といってどうせ皇帝かだれかいった言葉だとは思うが、今回私もようやくローマに入って、たしかにここで一旦、終止符を置くべきだとは思ったわけだった。
 ボローニャでのここからの行程はもう順序が分からないが、とりあえずサン・ステファノ教会に行った。たしかこのあと、ここで別れ、アパートに帰って休んだ。
 (たしか)日曜日はmさんと散歩。たしかテアトロコミュナーレでも観に行こうとなってぶらぶら現在のボローニャ大学周辺を廻る。99ユーロショップにいったりバザールにいったり公園にいったり。そのあと本屋、DVD屋に行く。パゾリーニのアルバムと「ペトローリオ(石油)」を購入(この日ではなかったかもしれない)。カルメロ・ベーネの映画「Nostra Signora dei Turchi」も。もしかしたら日本語版も出てるのかもしれないが…と思って調べたら、http://www7.plala.or.jp/cine_journal/whoswho/bene.htmlなどによれば日本語版は出てないようだ。「トルコ人ノートルダム」か。あと、このページから、ベーネがパゾリーニの「オイディプス王アポロンの地獄)」でクレオン役を演じていたことを知る。