2.「マルチチュードと生権力」(2003)

アントニオ・ネグリの演劇論II 「マルチチュードと生権力」 2003,12/12,ハンブルク劇場
◎二つの概念系列をつなげる
a 哲学と政治における内在性の次元  b歴史を作る生政治的な次元としてのマルチチュード
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<A.内在性>
◎政治=存在論
・政治は存在論として生まれた
・哲学は政治的な議論として生まれた
→古典哲学において存在論的な原理と政治的命令とがアルケーという語において一体化する→プラトン主義の伝統はこの同一性から構成されている。
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◎近代における中断:→超越性に内在性が対置される
・人間による自然の支配要求
・生きた労働の潜勢力、諸個人の協働、社会的共同生活、歴史を作る能力といった主張
◎以降、近代哲学は、世俗化の過程のなかで、絶対的内在性を夢見る。
→内在性を変容させ、超越性を、歴史の原動力とする(「弁証法」)
→絶対的民主主義、地上における真理、進歩主義人間主義、「地上における神」のプラグマティックな顕現
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◎今日の超越性:アメリカのネオコンイスラム原理主義
テルミドール反革命のようである:national identity/nation:目的論的政治哲学の革新と衰退
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◎近代における政治的立場の二重化
A近代的主権の思想(ホッブズデカルト以降の観念論):内在系
B共和制を夢見る根源的民主主義思想(マキャヴェリスピノザ):政治神学系
C. 「弱い変種」:内在性と超越性を媒介し、共和制の思想を自由への革命的願望のうちに引き戻す(カント、ヘーゲル主義)→内在系でも政治神学系でもない、超越論主義的な傾向
→人間の自然的要求としての媒介を固定することが、よりよい民主制を支えると考える
→だが、この試みは、内在性の根源性や共同性のうちに生き、そのなかで権力を行使するという人間的な地平の重たさからの空しい逃避である。
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◎近代以降、政治的なものの超越性はますます主張されていく
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◎逆説的な二者択一(フランクフルト学派構造主義
A資本主義的生権力の内部に世界が包摂される
B 諸個人の抵抗がいたるところで行われる
 →抵抗は生権力の領域を横断するが、周縁部にあるため、普及しない(まるでAを望んでいるかのような)
・このような思想のブロックを壊す必要がある。
→◎内在性の思想の再構成
マルチチュードの側からの共生の規則の再領有を原理として引きうけ、同時に自由のラディカルな擁護を主張する。
・「身体だけが批判の能力を持っている」
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<B.マルチチュード
マルチチュード:中心的なものとしての。
労働の概念、搾取とそのなかで生み出される敵対関係に立脚した階級概念
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◎搾取:「共同的なものの搾取」:搾取は極限まで強化される
→「資本の指令と資本主義的領有・蓄積が、もはや労働と生の組織化のうちにある個々の行為者に差し向けられるのでなく、労働が自ら生産的であろうとして生み出す共同的な関係にまで割り込んでくる」ような事態。
◎生政治的なものとは、「労働力の総体とその再領有の社会的条件が帯びる限界」であり、「生が生産活動へと還元された結果」であり、「生が生産の潜勢力として再発見される場」である。
・生はどれほど歴史的変容の駆動力であり主体であるか
(労働や組織の変容とは階級闘争の結果である)
→そうして、主体性の生産は途絶えることなく、ますます力を強めながら持続していく
・資本が政治を獲得してきたところでは、生が再び現れ資本主義的行為を解体していく
・生は蓄積の所産を自らのものとすることによって、搾取を攻略する。
⇒生政治的な編成においては、資本による生の包囲、と同時に、資本に対する生の抵抗も現れる。
弁証法的というより変容的(メタモルフォーシス
・資本=主権は、もはや統合力としてでなく、部分的で単独行動的な活動を行う要素として現れる。
・労働者と政治的主体は、還元不可能な要素として、抵抗、蜂起の参照点として現れる
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 今日のパラダイム転換:労働のマルチチュード的変成が生み出す根源的な不連続性を強調すること。
→脱出の根。自らを憲法とするマルチチュードの活動の基礎。→内在性の潜勢力の勝利
「神への愛」:創造的であることが明らかになった労働のような活動において、全面的に政治的なものに転化した生の潜在力の肯定