中国への愛憎

 最近、私は中国文明に惚れ込み、かつては憎悪の対象であった儒教も、相当にすばらしい思想体系であると感じられるようになってきていた。
 中国には偉大な歴史があり、中国人も当然、それは自認している。そうして現在を唐の時代に擬えている向きもあるという。まあ、唐についても勉強をはじめたばかりで、当時の政治体制や社会についてはよく知らないが、すくなくとも多くの人が憧れた国だった。
 私はいまなお、そうしたかつての文化の痕跡があるというだけで、憧れを持ってもいるし、実際、上海と昆明に昨年いって、実地でますます惹かれた。
 しかし、そうした文化を通じたコミュニケーションと、政治を通じたコミュニケーションとは、相互に干渉しつつも次元が異なる。そうして、政治はといえば、たいてい、性急である。
餃子問題など他にも懸案の問題はあるけれど、今度の政府の対応については、心底、腹が立つが、むしろこういう言い方をするがいいかもしれない。

 私は中国に「大国」であってほしいと思う。かつてのような偉大で高貴な国に。「武」ではなく「文」でもって、長い間、世界を魅了することのできた国に。

 しかし現在の形式的共産主義政府はどうにも「力」のイデオロギーに強く支配されすぎている。