2008-03-20から1日間の記事一覧

中国への愛憎

最近、私は中国文明に惚れ込み、かつては憎悪の対象であった儒教も、相当にすばらしい思想体系であると感じられるようになってきていた。 中国には偉大な歴史があり、中国人も当然、それは自認している。そうして現在を唐の時代に擬えている向きもあるという…

「人民」と「民の声」

中国政府は一時は「人民戦争」だともいった。ここでいう「人民」とはむろんクリシェであって、意味はない。どころか、実際の民衆とはなんの関係もないし、「民の声」ではない。 「民の声」がどこにあるかは一目瞭然である。「民の声」はチベットにある。「人…

付:ナチズムにおける「社会主義」

ナチズムも、「国家社会主義」を唱え、ワイマール社会の大衆に向けて、夢を訴えた。 しかしそれはマルクスの構想とはまったく無関係のものであったし、社会のすべての構成員が公正な生活を送るという目的を持ちはしなかった。ナチズムの実体は、神話的な民族…

ユートピアについて

ひるがえって世界史を考えると、様々なユートピア運動が実践されてきた。そのうちもっとも大規模な実践となった運動は、カール・マルクスを震源とした共産主義ないしマルクス主義によって導かれた運動の実践だった。 どれだけのひとがマルクスの構想に共鳴し…

バチカンとの対照

厳密にいえば、チベット問題は民族問題であるよりは、むしろ宗教文化的な共同体の問題である。詳細を省いて、思いついたのは、バチカンの事例である。 チベットとバチカンは宗教が違うどころか、それぞれの社会における地位も違う。バチカンは巨大な普遍宗教…

植民地主義と民族自決問題

今回に限らず、これまでの中国のチベット政策は侵略・植民地統治以外のなにものでもない。 ただ、植民地統治については、それが植民地主義であるからという理由だけで非難することはできない。ここでいうのは、武力による侵略の肯定では毛頭ない。あくまで植…

東アジア的統治形式としての儀礼的権力と超越主義

中国政府の見解をみていて思うのは、東アジア的な官僚制のことだ。見解はひどく儀礼的で、対話の隙を与えない。日本の官僚の意見陳述においても、よく似たものを見ることができる。 儀礼的なモノローグにせよ、あるいは新自由主義的な決断主義にせよ、ともに…

既存共産主義の終わりについて

このような統治が、好ましい体制であるはずがなく、あるいは先走っていえば、これは、スターリンの恐怖政治と同様、共産主義の構想に対して恥辱をすら与えている。 もちろん、既存社会主義の実践を一顧でも反省すれば、もはや共産主義という理念はほぼ塵埃と…

チベットはチベットである(承前):対話なき絶対主義

中国政府および政府公式見解を無批判に支持するひとびとは、チベット問題についてつねに「それは内政問題」と定型をもって答える。 当然のことであるが、チベット問題は「国際問題」であって、「内政問題」ではない。それは異民族間の低強度紛争であり、双方…