グーシ・ハーン王朝時代

 グーシ・ハーン王朝時代(1642-1724)は、ダライ・ラマを信仰する西モンゴル・オイラト族のひとつホショード族のグーシ・ハーンが建てた王朝である。
 
 このへんになってくると、オイラートという中央アジアの雄の話になってきて、かなり膨大で、なかなかいまはついていけないが。とりあえずネット勉強する。ウィキペディア利用。

17世紀のオイラトは、モンゴル高原の西部からアルタイ山脈を経て東トルキスタン北部のジュンガリアにかけての草原地帯に割拠し、ホショート部族が有力となっていた。
ホショート部の首長グシ・ハン(トゥルバイフ)は、帰依していたダライ・ラマゲルク派チベットにおける危機を救うために出兵、1637年、チベット東北部アムド(現青海省)を制圧する。
その後ラサでダライ・ラマ5世より「シャジンバリクチ・ノミン・ハン、テンジン・チューキ・ギャルポ」の称号を授かった。
オイラト各部の首長たちはチンギス・ハーンの子孫ではなかったためハーンになることができず、従来は全オイラトを統べる実力者であってもタイシ(中国語の太師)などの称号を名乗っていたが、グシ・ハン以後、時代ごとに、オイラトの有力指導者の一人にダライ・ラマがハーン号と印章を授けるという手続きを経て、ハーンを名乗ることができる慣例が生じた。

1642年、チベットを制圧し、グシ・ハン王朝樹立。
グシ・ハン率いるオイラト軍はアムドを主としてチベット各地に配置されたが、うちアムドに居住する者たちがのち青海モンゴル族と呼ばれる。
また、一部のオイラト部民はラサ北方のダム地方に移り住み、グシ・ハン王家に仕える直属部隊となったが、これらの人々の後裔がチベットオイラト人として現在も続いている。


つまりまあ、日本でも征夷大将軍などなんだの時機に応じて天皇に軍人が称号を求めたようなものだし、古代日本列島の諸国が同様大陸赴いたことと同じことなんだなと。タイシ、か。


グシ・ハン=トゥルバイフの時代のあとに強大なのはガルダン。