「権力の局地的破廉恥」と「革命の松明」:フーコー

話があちこちいくのは、もはや私の症状で、そんな私にブログ形式は向いている。わたしは根っからの反全体主義で、もはや「統合」という事それ自体、縁遠い。しかしいまだ「ビクトリア朝に住む人間」は、統合性や一貫性を好む。
 しかるに、今日の権力はといえば、より巧妙で、複雑かつ膨大な統治のテクノロジーによって構成されている。
 権力についての理解を一新したミシェル・フーコーはそのプログラム的な素描ともいえる「知への意思」の第四章「性的欲望の装置」において、こう命題化した。

 権力はいたるところに存在し、いたるところから生じる(120頁)。

つまりこれはたとえば分かりやすくいえば、「権力」なるものはなにも国会議事堂とか裁判所とか都庁とか警視庁とかいったところに集約されないで、むしろ、社会のあらゆる所までその触手は伸び、そうした無数の多様な点によってこそ、権力は機能しているということだ。

権力とは、ひとつの制度でもなく、ひとつの構造でもない。ある種の人々が持っているある種の力でもない。それは特定の社会において、錯綜した戦略的状況に与えられる名称なのである。(同前)

フーコーはつづけて、権力の戦略はあるときは「政治」またあるときは「戦争」という形式をとるとしたうえで、いくつかの提言をする。
 ここはフーコー権力論の基本的像の開陳という塩梅になっており、すべてを引用したいくらいだが、冗長になるので、圧縮する。

権力は無数の点を出発点として、不平等かつ可動的なゲームのなかで行使される。

権力関係は、他の形の関係(経済過程、知識の関係、性的関係)に対し外在するのではなく、それらに内在している。

ここでは権力が「内在」すること、身体の比喩でいえば、まさに身体の内部、内面でこそ、権力は機能することが提示されている。
 これまでの、というかいまでもなお、権力像が、外在的に確固としたものとして存在し、たとえば過去の政治家の銅像のような形で、屹立するようなものとして、あるいは、たとえばブッシュなり小泉なりの顔に「権力」を見るようなことをしているのに対し、実際の権力は、光回線やあるいは電波のようですらあり、もはやどこにあっても、存在するようになっている。
フーコーはここでいわば権力現象に対して、内在主義的な観点をとったのだが、こんなこともいっている。
すなわち、

権力は、これらの差異化構造の内的条件となっている

と。
男と女といったジェンダーにせよ、富裕層と下層といった階層関係にせよ、国家エリートと一般ピープルといった線引きにせよ、そうした社会の差異化の内的条件に、権力はなっているというのである。

もはや権力は、禁止や拒絶の役を演ずる上部構造にはいない。それが機能する場所で、直接的に生産的役割を持っている

あとでフーコーは有名な「生政治」についてその詳細を述べていくが、これもまた簡単には、「産めよ増やせよ」というのを思い出すとピンと来る。権力は国を豊かにしなくてはならず、また子孫を繁栄させてもいかなくてはならない。この子孫繁栄の欲望がひとつには「血の神話」をつくりあげ、ジェノサイドに至った。

権力関係の原理には、支配するものと支配されるものという二項的かつ総体的な対立はない。この二項対立が上から下へとますます局限された集団へと及んで、ついに社会体の深部に至るといった運動もない。

 むしろ、

生産の機関、家族、限定された集団、制度のなかで作動する多様な力関係は、社会体の総体を貫く断層の広大な効果を支えている。

こうした効果は、局地的対決を貫き、それらをむすびつける普遍的な力線をつくる。

 
 さて、ここまでは本当は飛ばすつもりで、ここからを扱いたかったのだった。

権力の関係は、意図的であると同時に、非主観的である。事実としてそれらが理解可能なのは…、それが隅から隅まで計算に貫かれているからである。
 権力の合理性を司る司令部のようなものを求めるのはやめよう。統治する階級も、国家の諸機関を統御する集団も、経済政策を決定するひとも、その社会を機能させている権力の網の目の総体を管理運営することはない。

で、次がそもそもいいとこ。

 権力の合理性とは、権力の局地的破廉恥といってもいいような、それが書き込まれる特定のレベルでしばしば極めてあからさまなものとなる戦術の合理性である。(122頁)

 「局地的破廉恥」…。さすがフーコー、名文家。
原書がいま出てこないので、原語は不明だが、つまり「破廉恥」って、なんと言いえて妙だろうか。
 

その戦術とは、互いに連鎖をなし、呼び合い、増大しあい、己の支えを条件とを他に見出しつつ、最終的には全体的装置を描き出すところのものだ。
 そこでは、論理はなお完全に明晰であり、目標もはっきり読み取れるが、しかしそれにも関らず、それを構想した人物はいず、それを言葉に表したものもほとんどいない。
 これが無名でほとんど言葉を発しない大いなる戦略のもつ暗黙の性格であり、また、そうした戦略は戦術を調整するのだが、その発明者ないし責任者は、しばしば偽善的な性格を全く欠いている。

 これは丸山真男が「無責任の構造」として分析したものにも近い。
たしかにパワー・エリートは、さすがにエリートというだけあって、フーコーのこうした権力論を知りながら、国家を運営している。
 で、私がいま指摘したいのは、このような論を読んで、むしろパワー・エリートは、ホッとするのではないかということだ。
 あたかも自分には責任もなく、また責められるべきこともなく、また「偽善者」ですらない、とか…。
 フーコーがこうして権力の概念を再編成した文脈については、当然、旧来のマルクス主義ないし新左翼運動で了解されていた権力像への批判があったのはまちがいない。
 あるいはこの文章が書かれた1970年代後半には、サルトルが憧れの毛沢東に裏切られ、失明したという伝説がある時期だ。実際、サルトルの失明と毛沢東への失望との因果関係は分からないものの、過度に絶望感を与えただろうことも十分、想像できる。そのときサルトルはすでに70を過ぎたお爺さんであるし、そうしたショックを「ウブ」などとはいえない。が、同時期、ジュネがのちに「恋する虜」にまとめる作業をしていたことを考えると、まあどうだろうか。
 それはともあれ、さてフーコーのこうした理論は、批判もされてきたように、「吞気」なものだったのだろうか。
 日本の現状からいえば、事態はより深刻のように見えるし、フーコーが記述した権力のテクノロジーは、すでに前近代的なものへさらに再編成されたようにも見える。
 たしかに権力はますます微細に、生政治的なものとなって、健康であれとか、子孫繁栄(「生む機械」発言とか少子化への不安)、身体への過度な配慮とかいうふうに、ますます生政治はおさかんではある。
 フーコーはこうした原理を引き出す上で、超人的な資料調査を背景にしていた。だから、というわけではないが、しかしいま翻訳が刊行中のコレージュ・ド・フランス講義録に見るがごとく、まあ異様ですらある。もっとも、こうした膨大な資料については、最近私が読んでいるアジア史・日本史・民族学民俗学の先達方も、負けず劣らず、すさまじいので、そんなに異様とはいえないのだが、とりあえず。
 で、私がいいたいのは、フーコーのこうした作業=努力を持続させた動機はなんだったのかということだ。
 それを私は、この「局地的破廉恥」という語句に見出したい。
フーコーが筋金入りのニーチェ主義者であることは、ハバーマスの批判でも周知のことになったが(というかハバーマスの「批判」は批判になっていないといった方が正確か)、ニーチェはといえば、キリスト教文明一切を相手取り、批判をしたという、まあ今考えると、本当にむちゃくちゃやったひとである。ロックだろうがヤンキーだろうがパンクだろうが、あるいは後述するフーコーのいう抵抗点だろうが、マルチチュードだろうが、まあニーチェと比べると、なにほどもなくなってしまうほどのひとである。別にニーチェが絶対だといいたいわけでなく、あの異常性、過剰さは、実際、西洋最大ではないかと私は思う。
 またフーコーは筋金入りの同性愛者でもあった。エリボンの「フーコー伝」を愚かにも売ってしまったが、強烈に覚えているには、フーコーが学生のころ、夜中の寮で、叫びながら廊下を走って行ったという挿話である。…まるで、私の中学生のころのようではないか。いやまあそれはともかく、フーコーはたぶん、そのとき失恋したのだろう、とは書いてはいなかったが、そういうことではないかと思う。過度の勉強によるストレス、のようには思えない。フーコーはたぶんいくらでも勉学をつづけられるタイプのひとだろうから。
ここでいいたかったことは、フーコーのなかでの情動ないし感情の強さ・激しさである。
 この情動の強度は、フーコーをすぐれて身体的なひとにしたし、また同時に快楽主義者にもした。

性的欲望の装置に対抗する反撃の拠点は、「欲望である性」ではなく、身体と快楽である(199頁)

 
それで、フーコーは晩年、「生存の美学」について語り、あるいは「芸術作品としての生」といったことも語っていた。「性の歴史」の二巻以降のいわゆる「ギリシア回帰」問題にしても、ドゥルーズのようにそれを擁護する向きもあったが、実際はどうだったろうか。
 現在の観点からいえば、フーコーはこの「知への意思」を折り目に、あとは肯定的ないし楽観的になったかのように見える。ニーチェのいう「楽しい知識」を文字通り実践するかのごとく。それはニーチェの人生動線とはまったく逆のものだった。と、こういって、フーコーを批判したいわけではないのだが、フーコーの「転回」は、「関与=アンガジュマン」を根こそぎにした印象もある。もっとも、ここは晩期フーコーの講義録なりを読んでいく中でのみ判断されるべきことだ。
 
 
ようは私は、この「局地的破廉恥」というたったひとつの語句に、フーコーに潜在する炎、ニーチェによって焚きつけられた炎を見る気がする、ということだった。「聖火」ならず「革命の松明」のような。


ここで止めたいのだが、あと最後の一項目、すなわち「抵抗」についてのものが残っている。