東北関東大震災

情報を獲得する環境に身をおきましょう。
また、すでにデマなどが流布していますが、デマは善意からも発します。

1923年の関東大震災のとき、地震そのときの被害よりも、のちの火事(空き地に避難していたところへ火の竜巻が襲ったりした)や、情報不足のデマによる朝鮮人・日本人・沖縄人への殺害事件などによる被害のほうが大きかった。
 地震災害のときにはデマ・パニックが、さらなる被害を生みます。ただし、1995年の関西大震災の時は、むしろ互助的な協同体制が自発的につくられました。
 レイプ発生などのデマが流れましたが、統計的には震災前と変わらなかったことが今日では明らかになっています。
 今回のような大震災のときには、ひとびとの互いの信頼感が命綱になります。すでにおとといの東京における地震においても、日本市民のずばぬけた連帯感・信頼感が、被害を最小限にとどめたことは、各国でも奇跡だとして絶賛されています。


なお、原発について私は一昨日夜からずっと勉強を続けていますが、かりに格納容器が破損し、大量の放射性物質が大気中に放出されたとしても、短期的には、20km以上離れていれば問題はありません。東京の場合は、福島から250kmも離れていますので、あわてず、正確な情報をもとに対処しましょう。
 また、原爆のような核爆発を想像して、恐怖感をもたれる方もおられるかもしれませんが(私自身が調査前ではそうでした)、核爆発は原理的に絶対にありえません。

 東北湾岸部以外の地域のひとは、節電をし、できるだけ通常と同じ生活を続けること、特に東京で社会的・経済的ダメージをすこしでもやわらげることが最大の後方支援となります。
 
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地震情報 http://tenki.jp/earthquake/
原発が停止しているため、最大限の節電をしましょう。ゆたんぽ・厚着・LED電球おすすめ。
================= <原発>
東京大学理学系研究科の早野龍五教授による原発関連の情報まとめ
http://bit.ly/hcDmBP
●「原発における核爆発は原理的にありえない」 高田純教授による資料
http://www.iryokagaku.co.jp/frame/03-honwosagasu/389/389-01.pdf
・高田純『核爆発災害』中公新書1895
●MIT技術者Josef Oehmenによる解説。http://bit.ly/eQQ3e8
→MIT原子力理工学部(NSE)有志による改訂版 http://d.hatena.ne.jp/arc_at_dmz/20110316
●英国政府主席科学顧問ジョン・ベディントン卿 (Sir John Beddington)によるコメント「日本政府の指示は適切」
http://ukinjapan.fco.gov.uk/en/news/?view=News&id=566799182
http://clip.kwmr.info/post/3896045912
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20110316
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●ネット上のデマのまとめ。http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20110312
========= <放射能放射線防護>
放射線医学研究所 http://www.nirs.go.jp/information/info.php?i3
文科省全国放射能モニタリングポスト http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303723.htm
●イタリア国営放送(Radiotelevisione Italiana/RAI)は3月16日、ローマの放射能量の方が東京の放射能より多いと報道。東京0.04マイクロシーベルト、ローマ0.25マイクロシーベルトhttp://www.rainews24.it/it/news.php?newsid=151021
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●東京23区内避難場所をGoogle Maps でまとめ
http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&brcurrent=3,0x605d1b87f02e57e7:0x2e01618b22571b89,0&msa=0&msid=215507572864740295322.00049e31ae027259c4dda&z=12
●NTT 災害ダイヤル→録音は「171」ダイヤル「1」+電話番号 、 再生は「171」ダイヤル「2」+電話番号。
(一件、30秒以内。伝言はPCからも確認可能。東北部では公衆電話無料。)
●グーグル安否確認 http://japan.person-finder.appspot.com/?lang=ja

舞踊上演「古の夜々の月」於浜松

今年も浜松で踊ります。

第二回アートルネッサンス展・浜松城公演石舞台ナイトイベント参加作品


イマージュオペラ>>ミトロジック<<



「古の夜々の月」


演出・舞踊:脇川海里
   舞踊:野沢英代

上演時間20分

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他の参加者の方々は以下の通りです。
青島左門(美術)
酒井敦(舞踏)
杉原信幸(美術)+山形淑華(詩)
伊藤悟(ひょうたん笛)
鈴木麻美/プリン・ア・ラ・モード(ジャズ)


10/2(土)5時半開場 6時開演(※雨天の場合は浜松城公園に隣接する浜松市立中部中学校体育館で行います。)
浜松城公園石舞台 http://www.hamamatsu-navi.jp/shiro/
■チケット
大人:1800円(前売1500円)
学生:1000円(前売800円)
中学生以下無料
■交通:
遠鉄バスご利用の場合:浜松駅バスターミナル(1)(13)乗り場発のすべてのバス「市役所前停」下車→徒歩約1分
・タクシーご利用の場合:浜松駅より約5分
・マイカー、大型バスをご利用の場合:浜松ICまたは浜松西ICより約30分
浜松城公園駐車場または近隣の民間駐車場をご利用下さい

■チケット取り扱い・問い合わせ
浜松市美術館内 Tel.053-454-6801

円卓会議「土方巽と日本舞踊史」

本日、TAGTAS/Forumにて、円卓会議「土方巽と日本舞踊史」が開催されます。詳細はhttp://d.hatena.ne.jp/tagtas/

円卓会議


土方巽と日本舞踊史


国吉和子( 舞踊研究)
清水信臣(劇団解体社 演出家)
竹重伸一( 舞踊批評)
脇川海里( 舞踊家・演出家)


・日時:9/14(火)19時開始

・場所:Spaceカンバス 東京都文京区湯島2-4-8五十嵐マンションB1地図はこちら

・アクセス:JRお茶の水駅より徒歩5分   

・参加費:1000円

・問合せ:tagtas@gmail.com(予約不要)

・詳細→http://d.hatena.ne.jp/tagtas/

講演「否定芸術論」の御案内

ドラマ・ワークショップ「プラトン『国家』を読む」は、結局、第一巻を逐一輪読というかたちをとり、適時コメントを差しはさんでいった。一人で読むと、つい速読法を使用するくせがついているから、ソクラテスのしつこすぎて、はっきりいってどうでもいい「論証」=弁論の部分なども、実際に、読み合わせることで、そのしつこさが倍加され、結果、読書があらためて「体験」であるということを知った。これはひとりで読んでても、むろん時々思うことではあるが、文字通り「共読」するというこの形式において、より感じる。

 さて、そのプラトンの芸術追放論もまきこんで、「否定芸術論」という講演会を開催します。

TAGTAS/FORUM


 否定芸術論


・日時:7/13(火)19時開始

・場所:Spaceカンバス 東京都文京区湯島2-4-8五十嵐マンションB1地図はこちら

・アクセス:JRお茶の水駅より徒歩5分   

・参加費:1000円

・問合せ:tagtas@gmail.com(予約不要)

・詳細→http://d.hatena.ne.jp/tagtas/

ユダヤキリスト教偶像崇拝の禁止、イコノクラスム、プラトンやオリゲネス、そして20世紀のアドルノや表象批判論、表象不可能性の問題まで、「否定芸術論」の系譜をたどりながら、なぜ芸術は禁止されてきたのか、いかに芸術表現が禁止されるのかを、あいもかわらず世界史的に考えます。
 実際、これら「芸術の禁止」または「芸術の否定」の問題は、2005年に一般公開したベルリンのホロコースト記念碑をめぐる論争や、ジャン=リュック・ナンシーやジュルジュ・ディディ=ユベルマンらの近年の議論をみても、まだまだ解決されていない。それどころか、ひとそれぞれとはいえ、多くのひとが、これらの問題を考えるにあたり、ある地点で考えることを放棄する場合がほとんどである。もっとも、「遠い」日本では、これらの議論があることさえ、十分に周知されてはいない。むろん、これらの、いわば「不可能性の神学」は、欧州の要のようなところであり、、、、(寝オチ)

 
 

アリストパネス『アカルナイの人々』

本日、杉浦さんのアリストパネス『アカルナイの人々』を読み合いました。アリストパネスのモンティパイソンいや、鴨川つばめ的な悪ふざけ振りはすさまじいものでした。
 ラブレー、サド、ブレヒト、ジュネ、パゾリーニ土方巽赤塚不二夫唐十郎、リチャード・フォアマンなどにも反響するアリストパネスのスカトロジック・スラップスティック・コーモーイディア(喜劇)は、親玉だけあって、桁違いだった。ディカイオポリスとラーマコスの終盤戦はすでにベケット以後のよう。コーモーイディアの語源はコーモス(馬鹿騒ぎ)だとのこと。
 それにしても、詩人たちを憎悪したプラトンは、アリストパネスと一緒に旅行する仲でもあったが、アリストパネスのあまりの悪ふざけぶりに、あのような藝術否定論を展開したのかもしれない。

ワークショップ・プラトン『国家』を読む

ワークショップを下記の要領でTAGATS/フォーラムで開きます。


題材は古代ギリシアの哲学者プラトンの『国家』です。
NHKで話題のハーバード大学政治哲学教授マイケル・サンデル氏も、このプラトンの傑作を読むことからそのキャリアをスタートさせました。

 正義とはなにか。
 正しいこと・よいこと、美しいこととはどのようなことか。
 あるべき国家とはどのようなものか。
 あるべき国家にとって本当に必要なものはなにか。

ソクラテスの魅力的な「困ったちゃん」ぶりも、最高にノっている対話篇です。

皆様、お誘いあわせのうえ、ぜひお茶の水までお越しください。

ドラマ・ワークショップ



[プラトン『国家』を読む]



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プラトンは『国家』において、有名な「詩人(芸術家)追放論」を展開します。なぜプラトンは詩人をはじめとする芸術家たちを理想の国家から放逐するべきと考えたのでしょうか?プラトンの考え方は、欧州のみならず、西アジア地域、また近現代においても継承されていきます。
 国家と藝術との関係をどのようなものとして考えればよいのか。藝術とはなにか。藝術とはどのようなものであるべきなのか。この普遍的な問題について原型的な考え方をまとまった形で表したプラトンの最高傑作ともいわれる『国家』を輪読し、プラトンの問題提起を現在のわたしたちが受け止め、議論していくことで、その対話篇に「参加」していきます。


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講師:脇川海里(わきかわかいり)舞踊家、舞踊史家、演出家、振付家イマージュオペラ主宰。

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・日程:6/23(水)、8/25(水)、9/29 (水)
・参加費:各回1000円
・場所:Spaceカンバス 東京都文京区湯島2-4-8五十嵐マンションB1
・アクセス:JRお茶の水駅より徒歩5分   
・問合せ:tagtas@gmail.com(予約不要)
・詳細→http://d.hatena.ne.jp/tagtas/

岩波文庫版などをお持ちの方はご用意ください。
※6/23(水)は第一巻・第二巻までを予定しています。
ケパロス・ポレマルコス・トラシュマコス・グラウコン・アデイマントスまで。
※副読本としてマーティン・バナール『ブラック・アテナ:古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ〈1〉古代ギリシアの捏造1785‐1985』新評論。なお『黒いアテナ』(上下巻、藤原書店)は資料集です。本書はその後大変な論争を引き起こしました。アーリア・モデルによるギリシア像はいまも残存しているが、その多くは18世紀から20世紀にかけてイデオロギー的に形成されたことを実証する本書は、サイードの「オリエンタリズム」をさらに発展させ、「ヨーロッパ至上主義」の核心またはその根拠を覆すものです。
 エリック・ハヴロック『プラトン序説』新書館は口承文化から文字文化へのメディア史的変遷に着目し、プラトンの詩人追放論を論じています。
 サイモン・ブラックバーンプラトンの「国家」』ポプラ社は、『国家』の概説書としては最新のものです(2006年)。

ドラマ・ワークショップとは…

■ドラマ・ワークショップとは、文字通りテキストをその場で輪読し、そのうえで議論するワークショップです。

 輪読の形式は現在では一頁ずつ各参加者で読みあいます。通常の戯曲購読では、登場人物を朗読者に割り振りますが、これでは各朗読者はその割り振られた登場人物に集中または当該箇所のみを読むことになります。

 TAGATSのドラマ・ワークショップではこのような従来の輪読の問題をふまえ、台詞のみを読むのではなく、テキストの中で交わされている議論のコンテクストを追うことを主眼としています。また順番で読むことによって読み終わった後の議論に加わり易くするということも企図されています。
 文字通りの輪読によって、テキストが提起する問題の文脈をできるかぎり損なうことなく把握することができ、参加者はテキストの輪読を経て問題提起し、議論していきます。

他、以下のようなドラマ・ワークショップ、またレクチャーも同時開催していますこちらへ

■[アリストパネス戯曲を読む ] 杉浦千鶴子/ドラマ・ワークショップ
日程:6/16(水)、7/7 (水)、8/11(水)、9/8 (水)
■[プラトン『メネクセノス』を読む] 佐々木治己/ドラマ・ワークショップ
日程:7/14(水)、9/1 (水)
■[夢に触ってみる] 羊屋白玉/ワークショップ
日程:9/6 (月)、9/21 (火)、9/22 (水)、9/27 (月)、9/30 (火)

勉学遊戯(死亡遊戯としての)

イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの文体は緊密で圧縮されたものだが、それは直接指導を受けたハイデガーとそしてなにより氏がイタリア語版全集監修者を務めるほど入れ込んだベンヤミンによるのだろう。一読して幻惑するような華麗な文体のバロキズムを持つフーコードゥルーズとは趣が随分異なる。
 ある企画で原稿をまとめていて、一年ぶり位に猛乱読し、未読の本のみならず、既読本をいろいろ読み直した。未読の本には英米法制史の一連の本があり、それはつまりマグナ・カルタからイギリス革命あたりは知っていたようで知らない領域だった。既読本の再読には、相も変わらずハイデガーとかドゥルーズとかフーコーで、しかも社会学者のジョック・ヤングまで読むことになり、20歳頃のプロブレマティックから何も変わっていないことに改めて自分で驚く。問題が全く解決されておらず、それゆえのことではあるとはいえ、個人史的にはその回帰振りになにか老いのようなもの、あるいは熟成というがよいか、そう感じた。
 しかしあらためて80年代までの思想界の英雄たちの論を、なんといえばよいか、そのまま読んでしまうと、古臭くも感じるところもままある。これはむかし、シャルル・ペギーやティヤール・ド・シャルダンとかを読んで感じもしたことに似ている。つまりは文における時代性の巻きこみといえばよいだろうか。
 アガンベンは90年代以降、いや、2000年代以降、バディウジジェクネグリらと並んで読まれている。それで、それ以前の英雄たちの本を再読したことで、あらためてアガンベンが非常に魅力的に思えてきたということを書きたかった。アガンベンのベンヤミニズム的文体のコンテクストは当然、かの英雄たちの著作群にあるわけで、その本と本との関係のありかたが今回の死亡遊戯乱読によってより判明に認識できた。
 アガンベンについてはそのオタッキー的または文献学的ー文字通りフィロロギック(文を愛する)なスタイルを批判するひともおり、私も自分の関心がアガンベンほどないのにも関わらず、そう感じ批判していたこともあった。いまおもえばこの手の批判というか論難とは、自分が勉学しないための言い訳にすぎない。読まずに批判するのは本当に愚かしいと反省(しかしこの手の論難をするものは実に多い)。
 

 アガンベンは『例外状態』のなかで

もはや実地には用いられず、もっぱら勉学のためだけの法こそは正義の門である

というベンヤミンカフカ論のなかの言葉を検討する。ベンヤミンの高名な「暴力批判論」についてすでにデリダは「法の力」で批判している(そのなかでデリダは条件つきではあるがベンヤミンへの決別をさえ表明している)が、アガンベンは明らかにこの本を書くにあたってデリダと対決している。
 ベンヤミンの直面していた問題とは、未来において法がメシアニズム的成就をなしたあとで、それには何が生じるのかというパウロ的問題であった。そしてそのヴァージョンである、階級のなくなった社会において法はどうなるのかという問題であった。後者はパシュカーニスとヴィシンスキーの「法の死滅」論争の争点であった。
 これらの問題に応答するなかで、「もはや実地には用いられず、もっぱら勉学のためだけの法」は正義それ自体ではなく、正義への門、すなわち正義への道程であると考えられる。
 これはすなわち、法のもうひとつの使い方としての、法を無活動の休止状態に置くという戦術である。ベンヤミンの神話的・法措定的・法維持的暴力とは異なるものとしての神的暴力について、解釈は難しく、デリダの懸念する「最終解決」的思考も認められるのだが、その革命神学的問題にはいるまえに、これがゼネラル・ストライキによる抵抗の正当化であったことを忘れてはならない。
 日本では労働組合または労働運動は、非正規労働者運動という少数の例外を除いて、殆ど存在しない。それはすべてお金で解決したからであるし、お金こそが目的であったからだ。生活環境や社会環境、そしてなにより労働条件、時間環境についてはまったく放置されてきた。その結果が数年前の「世界第二位国」というステータス意識だったのかもしれないが、そのステータスが地盤から崩壊した以上、根拠がなくなってしまった。(続く)