20th century

まだぼわぼわしている。
タワー。

オデッタODETTA
Sings Ballads & Blues: The Classical Recordings


パゾリーニがたしか「メディア」で使用していた、とホーゲさんから教えてもらった。以前、探して見つからなかったのは、てっきり、ゴスペルかと思ってたからだった。フォークのコーナーにあった。
 


ALLEN TOUSSAINTのSOUTHERN NIGHTS


うつらうつらしながら聴いていると、高校の時に、ニューオリンズ音楽にはまってたときの、感覚が、湧いてくる。しかし、その感覚は、なにか対象のようなものがあるのでもない、だが、ある触感=テクスチャーのようなものがある。緑、森の木陰のような感覚、というか、イマージュ。ああ、おそらくは、通学路でもあった福岡城の林の像なのかもしれない。


そうして、これは買ってラッキーだったのだが、The Roots of Pop
1925年のチャールストンより、1950年のナット・キング・コールモナリザまでの、戦前ポップスのコンピレーション。
20世紀前半。私が生きる時代は、長生きしたとしても、21世紀前半までだ。となると、この20世紀前半に生まれたものの100年後まで。なにがいいたいかというと、これらの音楽から離れることがありそうもないので、まあ一生、付き合うことになりそうだということで、それはつまり、20世紀との関係は、切ろうにも切れないだろうということ。
 ところで、20世紀と19世紀との断絶について、よくモダニストから聞かされたものだったが、しかし、まあどうなのか。
 「時代の断絶」を感覚するうえでおそらく最も力を持っているのが、風景表象であろう。
エッフェル塔がいつできたか知らないが、あれは世紀に渡っている。同様に、東京タワーもw来世紀まで残るだろう。テロでもない限り。

 しかし考えてもれば、ケルンの大聖堂にせよ、奈良の東大寺にせよ、幾世紀も経て、残っている。

三島由紀夫の「金閣寺」にも、なにが永遠なのかみたいなことが書かれてあった気がする。建築物は一見強固であるが、それははかなく、ゆえ、永遠なのは、精神。?みたいなことが。

 とまれ、やはり、「歴史」なのだ。私にとって。なぜかは知らない。それを主題というか、それに執着するのは、もう性格のようなものだ。しかし、ここにも、なんらからの複合した動機があるのだろう。