教育の象徴暴力

毎日新聞 2005年12月17日 記事より。

召集令状:生徒に配り、「非国民」批判も 福岡の中学教師
 福岡県志免町の町立志免中学校(結城慎一郎校長)で社会科の男性教諭(48)が、授業で「臨時召集令状」を全2年生218人に配って戦争参加の意思を聞き、「いかない」と回答した女子生徒に「非国民」と書いて返却していたことが分かった。結城校長は「戦争の悲惨さなどを教えるためで、問題はない」と話している。
 町教委の説明によると教諭は10月27、31日に「第二次世界大戦とアジア」の授業をした。教諭は副教材に掲載されている「臨時召集令状」をコピーし、裏面に戦争に「いく」「いかない」の、どちらかを丸で囲ませ、その理由を記入させた。
 「いく」「いかない」の意思表示をしたのは208人で白紙が10人。「いく」理由は「当時としては仕方がない」「家族を守るため」など。「いかない」は「家の事情」「今はいきたくない」などだった。
 「いかない」と回答した女子生徒の一人が、理由に「戦いたくないし死にたくないから。あと人を殺したくないから」と書いた。これに対し、教諭は赤ボールペンで「×」印を付け「非国民」と書き入れて返した。
 女子生徒はショックを受け事情を知った女子生徒の保護者らは「社会科の教諭を代えてほしい」と話しているという。
 町教委は、非国民と書いたことについて「確認できず分からない」という。そのうえで授業の狙いを(1)召集令状の持つ意味を理解させる(2)生徒の歴史認識を把握する−−としており「決して思想信条を調べるものではない」と説明している。」とのこと。

この記事をほじくりだすときりないが、まず、なぜ実名を報道しないのか。
 町立学校ということは、公立なのだろうから、公務員であり、民間の人間ではないのだから、「市民」ではない。「公人」である。…ちまちま分析するのはやめよう。この手の教師の面が、九州の「国民教育」で育った私には、ありありと想像できる。こういうやつに繰り返し暴力を受けたから、私は「日本」が嫌いになった。中学生であった私は、国士舘大学出身の剣道を得意とする山口という寮監に、日曜日の午前中、部屋のベッドで眠っていたら、たたきおこされ、60発くらい、往復びんたされた。自習時間だったからだ。口のなかは5つくらい穴があいて、血だらけになった。私は無抵抗だった。顔はしびれ、振動で意識が朦朧としていた。「洗って来い」と気の済んだ男は言い放ち、私は洗面所に行くことを許可された。水道で血を流しながら、私は復讐を誓った。というのは嘘であるが、私はそのとき、いまにいたる原型のような体験=なんらかの認識を果たした。やり返すことのできなかった悔しさと恥辱を受けた恨みは、いまなおある。過去のこととして普段はほとんど忘れているとはいえ、思い出せば、いろいろほかにもある。いまおもえば、この男のみぞおちか顎を思い切り殴ることが当時できれば、と思う。居眠りという「罪」に対して、この仕打ち=「罰」はそもそも合法的なのか。しかしこれは法の問題ではない。「教育」とはこのようなものであるということだ。社会学ピエール・ブルデューらのいう象徴暴力の議論も重要であるが、このような具体的かつ直接的身体暴力は、象徴的なレベルつまり言語化されたレベルを通り越している。むろん、この山口という男は、そうした体罰を、必要だと認識したからそのような行為に及んだのだろう。しかしどのように、考えても、「常識」的ではない。たかが居眠りである。びんた一発ならまだなんということもない。まあ、今の世の中では、びんた一発も「暴力」ではあるらしいが。
 九州の「国民教育」のエピソードはむろんほかにもやまほどあるし、こんなものはまだかわいいものだが、さて暴力を受けた人間は、泣き寝入るしかないのだろうか。あほか。そんなわけがない。復讐しかない。暴力に対しては、暴力で返す。法にはらむ暴力とか正義論だとかかまびすしいが、私にとってはハムラビ法典しか、法ではないw
 さて、この寮監のエピソードは17年前の話、冒頭の福岡志免の出来事は、現在のものである。ほとんどギャグマンガのようなアナクロニズム的な象徴暴力である。私がこうむった教育暴力は、私立学校におけるものだった。私立にはある程度の自律性のレベルもあるだろう。しかしこの志免中学校は公立であり、公共機関の役人が行ったことである。九州が仮に日本国より独立して別の国であるのならw、またちょっと複雑であるかもしれない。だがこれは日本国家の下部機関の行った行為であり、このことを放置するということは、これは国家の意思と考えていい。国定教育、国民教育とはこのようなものだということだ。教育委員会はこれは「決して思想信条を調べるものではない」などとたわごとをいっている。なぜそのようなごまかしかたをするのか。いえばいいだろう。「今日の日本国家と社会に必要だと考え、教育指導した」と。むろん実態はこの記事からは分からない。もしかして戦争に批判的な考えを持った教師が、戦争とはこのようなものであるとアイロニカルなパフォーマティブな教育を行ったのかもしれない。しかし長崎県と福岡県とで教育を受けた私には、その可能性はほとんどないと思われる。私の知る九割の九州の教師は、こうしたナショナリストであったからだ。
 で、これは明らかにあるひとつの典型的なナショナリズムイデオロギーの押し付けである。ブルデュー的にいえば、象徴暴力であり、押し付けの暴力であり、少数者に抑圧をかけている。この象徴暴力が、実体化具体化して、私の受けたような直接的=無媒介的な身体暴力にいたるまで、ちょっとした短絡=ショートサーキットとそれを許す社会の状況があれば足りる。
 私はこのような事態を一個人として容認しない。これは暴力であり、私はそれゆえ、対抗暴力を、なんらかの形で発動したいと思う。具体的な対抗暴力の行使については合理的なやりかたがいくらでもあるのだろう。しかしこの出来事はすでに近代的な合理性にもとる前近代的なものだ。すでにしてショートサーキットであるこの教師に対しては、ハムラビ法典によりw、ショートサーキットで返すしかあるまい。
 かつて読んだ別の記事を思い出す。鹿児島での太平洋戦争時代のエピソードである。農家の子息であったそのひとは家で米を栽培していたので、米を食べていた。しかし当時、米は希少食物であり、みな、いもを食べていた。教師はけしからん!非国民だ!といって、赤い文字で「非国民」と書かれた箱をかぶらされて廊下に立たされたという。
 しかしまあ、なんばしよっとや!思想信条の自由が憲法で守られとろうもん!憲法違反で訴えるぞ!とかいって、実際、裁判にかけるのが一番いいのだろう。建前では法治国家ではあるのだから。
 しかしこの出来事は今日のナショナリズムの一事例にすぎない。ナショナル=国民国家的なるものに回帰しようとする運動はかなり深刻である。
 それにしても、ナショナリズム、エトニとはなんなのか。アントニー・スミスを読まなくてはならない。