ウィルスと「最もマルクス主義的な映画」

風邪かと思いきやウィルスによる感染性胃腸炎で、ここ数年ありえなかったほどの激痛でのたうち回っていたのだが、辛抱たまらず病院に行き、とにかく応急処置をしてくださいと頼み倒して、点滴を打ったら、大分治まり、後に薬剤投与などでほぼ完治する。
 あー点滴はすばらしい。というか、やみつきになりそうだ。
ま、それはともかく、ノロウィルスとやらが流行っているらしい。そのせいでかどうか分からないのだが、たしかに数日前に牡蠣は食べたから、潜伏していたのかもしれない。
 順序からいえば、最近、ストローブ=ユイレ映画祭や溝口健二映画祭に通うことで忙しく、また舞台公演も、知人のも含め、毎週なにかある。家にいることがほとんどなかったので、疲労も溜まっていたのかもしれない。
 行こうと思っていたのに、いけなくてごめんなさいです。義理よりも学習を優先してしまうこの学生根性がまた最近再発していたもので、というか、溝口がすごすぎるので。
 以前、ヴィデオで見た限りであった溝口健二を初めて映画館で見て、がっぷりたましひ掴まれ、久々に泣きました。
やっぱり映画はヴィデオで見るものじゃない。それと、さすがに10代で「山椒大夫」とか「雨月物語」見ても、なんとなくそのすごさは分かったつもりになっていたけど、いやー、年取ることが益するとは、このことか。
 溝口の「山椒大夫」について、かのストローブが「最もマルクス主義的な映画」と評したそうで、そしてこのことについてもじっくり考えていくべきことがやまほどあるのですが、今は到底書けない。エイゼンシュタインなりブレヒトなりの映画との対比であるとか、あと佐藤忠男さんの「溝口健二の世界」に著述してある当時の日本映画界の状況など。とくに「傾向映画」のことや、あるいは当時の「マルクス主義」的な批評の問題など。なにより、当時の映画界が、興味さえあれば誰でも入れるような、いまでいえばポルノや小劇場の世界のように、文字通りのやくざ者のアジールであったこと。
 ついでに、溝口の精神は案外、土方巽の後期作品群にも流れていたこと、「慈悲心鳥」の言葉の由来が、溝口の映画であったこととか。
 溝口の映画それ自体についても、見れば見るほど、やばい。あまり期待していなかった「歌麿をめぐる五人の女」すらも、大変すばらしく、この映画祭が今月中で終わることが日を追うごとにますますうらめしくなってくる。
 こんな感じだったものだから、まったく更新もできませんでした。
 
いや、溝口ブームが起こる前からしてすでに一人で騒然としていたのだけど。

 ウィルスが牡蠣によるものか、映画館とか劇場とか電車で感染したのかは分からないが、とりあえず無事ストローブ=ユイレ映画祭も終わり、初めて生で見た浅田彰さんによる元気なユイレ追悼講演会も、そのあとBと行ったエチオピアのカレーも満足。講演会ではフォルティーニに演出するストローブ=ユイレの話と、ゴダール「アワーミュージック」がもしかしたらもしかするとユイレに関係しているかもとかいう話はよかったですねえ。
 あ、その次の日か、症状が出たのは。