私の眼球譚

二日前、コピー機を解体していたら、眼にどうやら、小さな破片が入ったようで、しかもその眼は左目で、5年前、角膜移植手術をした方だったので、恐くなり、ネットでいろいろ探した。結局、渋谷の加藤眼科というところにした。角膜の表面にすこし傷がついていた。色が変色している。大丈夫です、といわれるのだが、本当に大丈夫なのかなと思いつつも、これは信頼するしかないし、眼だけではないが、こうした身体器官の医療的な問題については、なんともいえない。角結膜上皮障害治療用点眼剤ヒアレイン0.1という目薬を処方してもらう。一件落着。
それで、以前手術した時に、まあ事実だろうし注意しなさいという意味であって、脅しではないのだろうが、拒絶反応というのは、10年経って起こる場合もありますといわれて、以後、現在、そしてこれからも、基本的には、脅かされているのだが、おかげで、大好きだった水泳も、水圧をかけることはよくないので、もう、できないわけだった。なにせ、内破という現象の話しを聞いたら、泳ぐどころではない。内破というのは、角膜が破れて、眼球のなかみ(なんとか水)が出てくる、というものだ。
 それで、今日、拒絶反応の疑いはありますかと聞いたら、拒絶反応というのは、自己の組織と移植された他者の組織とが相反(?)するもので、現象としては、裂け目が出るらしい。
 今回を機会に、ネットで円錐角膜について調べることができた。なるほど、以前より何人にも会ったのだが、結構、メジャーな症状なようだ。
 私の場合、それまで両目視力1.5だったのが、一年で0.01になり、それはそれは大変だった。始めは田舎医者だったもんで、ソフトコンタクトを処方された。それでもどんどん視力が落ちる。5回位買い変えたと思う。どうもおかしいと他の医者にいった。長崎の思案橋の奥まったところにある眼科だ。その先生は大変、いい先生で、そこではじめてこれは円錐角膜であると断定された。
 それで、眼である。恐いったら、ありゃしない。私はその失明になるかもしれないという恐怖感や絶望感と、自分の身体へのふがいなさへのいらだち、その他で、落ち込んで行った。結果、ロックと出会い、不良になり(笑)、中高一貫校の青雲学園を中退することになる。あれはやはり眼のせいだ(笑)。って、いまこうして(笑)ってられるが、当時は、大変、悩み苦しんだもんだ。
 で、福岡の大濠高校に移って、k眼科というところにいくわけだが、このひひじじい、やぶで、結局、太宰府の方の先生にかかる。この先生は、もう名前を思い出せないが、いい先生だった。
 なんか2ちゃんとかでも、名誉毀損とかうんたらあるし、まああほらしい嫌がらせとかもあるんだろうが、やぶ医者といい先生との区別は、なにより、人柄ではなく、症状に対して、適切な処方をしてくれる先生のことをいう。あたりまえだが、これがあたりまえじゃないんだから、ねえ。
 とまれ、それから東京に来て、ますますひどくなっていく。白濁というやつだ。大学二年のころには、もう左目はほとんど見えていなかった。白いレースカーテンがかかっているどころか、それが破れて、なにがどうなっているのか分からないほど。左目だけだと、外を歩くこともできなかった。
 ああーセザンヌだなとかで、そのころちょうどポンティとか読んでたので、慰めもしていたが、まあ以後、25才の時に手術する迄の苦労は、大変であった。
 円錐角膜というのは、円錐状に角膜が変形していく病気で、原因は不明。いろいろ原因は考えられているが、どれというわけでもない。というか、病気で、おおくがそうらしい。とは、医者の友達から聞いたことだ。
 それで、まあふざけた話しもあるわけだ。「眼鏡かけりゃいいじゃん」とかいって、こっちがいや眼鏡だと視力が出ないんだ、もう変形コンタクトレンズで押さえるしかないんだといっても、そんなのありえないみたいな顔するやつ。眼精疲労がひどくて、拡大コピーしてたら、ふふ、眼が見えないだっだよな、と笑うやつ。これにはさすがに腹がたった。ちなみにそいつらは国立大学のt大学なりなんなりの連中。まあ大学は関係ないとしても、そう発言したものが複数なのだから、日本のエリートについては、その時点で、もう絶望させてもらいました。まあね、エリートだなんていって、差別主義だからね。他人の痛みを想像することができないというやつだ(笑)。他者なき世界なんだが、それでもまあ「他者」はいるらしい。すなわちライヴァル。競争欲とか競争社会とかよくまあ教育の現場ではいわれてきたもんだが、まあ地位獲得に必死な階層ほど、ヘーゲルのいう「承認を巡る争い」に生を賭けてるもんだ。下層階級やあるいは私のような階級脱落者デクラセからすれば、そんなのはポール・ウィルスいう「洞察」があったもんで、不良になるわけだ。まあまたそこでも「承認を巡る争い」はあるがね。私はまあスピノザでもフーコーでもラカンでもいいが、思想家を尊敬するという幻想をもってるもんで、日本の「国家貴族」どもの悩みは、その陳腐さたるや、こちらが恥ずかしくなる(「同じ日本人として」)ほどである。まあそれでも、よき学者はいるだろうし、いる。まあホモ・アカデミックスについては、ブルデューがやったが、あれたぶん、だれも受け継いでないんだろうな。だって、自分達のフィールドワークなんて、いやでしょうしね。
 眼にもどる。印象派の世界といったが、はじめは輪郭が消え、奥行きが消え、ぼやけた色彩になる。ここまでは普通の視力減退と一緒。0.01の視力にしても、体験者である私からすれば、まだ見えてるんだ。さらにその底がある。そこからあとは、もうフィギュールの爆発。フランク・ステラかなんか分からないが、もう、だめである。割れた世界。文字は読めないし、道路は見えないしで、結局、右目だけの生活になるんだが、これまたきつい。もう、ふつうに考えて、将来はないし、絶望しかないわけだから、結局、哲学するしかない。あるいは神学でもあった。そりゃ、救われたいっすよ。
 それでまあ大学出たあと、フランスのモンペリエポール・ヴァレリー大学に語学留学しようとした矢先に、右目までがひどい痛みに襲われた。もうほとんど失明である。パニック。結局、大阪の大手前病院を紹介されて、すぐに手術。
 この手術、入院のときの話しには、相当面白い話がある。続く。