電気的なる自然-世界-身体

 8月3日、金曜日。
稽古場を借りているご家族に不幸があり、急遽、公園で稽古をする。
 スケボーが左足と右足に別れたような、ローラースケートとも異なるようなもので遊んでいるひとたちがいた。
はじめは木立のなかで準備をはじめる。風がなかなか強くも心地よく、寝転がると樹の葉が海の波のようにうねっていて、ずっと見続けていたいと思う。
 樹の間を抜けてくる風は、子供の頃よく遊んでいた烏帽子岳という山に友達と連れ立って、スターウォーズIIIの森の中を駆け抜ける追跡シーンを想いながら林を走り回ったときの風を思わせた。
 荷物にまだ緑色の蟋蟀のこどもがいた。
 土の上だと地面(習慣でつい「床」といいそうになるが、これは建築物における名前である)を多用する動きの作業ができないので、芝生を求めて移動する。
 寝そべってストレッチしていると、ずいぶん長い間、空を見ていなかったことに気づく。ゆったりとした大きな動きを見ることの快楽がなんであるかもずいぶん忘れていたような気がする。
 公園はあくまで人間が人為的に構成し切り取られた自然ではあるものの、生物の多さや、とりわけ植物の出す酸素や独特の湿気などの大気など、街路樹や植木しかないような住宅街や建築物密集地域と比べると、自然には違いない。
 そのような自然の持つ多様性に対し、それを快として知覚するのも人間であるとしても、身体をはじめとする人間の素材の大部分は自然なのであるから、自然(性)と文化(性)との差異=分割をあまりに強調することは、知覚を探求するうえでもやはり注意した方がいいのだろう。
 なにがいいたいかといえば事はあまりに素朴なのだが、自然は豊かだな、ということ。
「豊か」ということの内実は、ひとつには多様性というのがある。
大気や空気、音、また太陽光によって刻々と変わる陰と風景。こんなことは、普段、地下室で稽古していることからは思いが至らない領域である。
 芝生も、庭園にあるようなきれいに刈られたものでなく、適当に雑草が生えている。
これまで探求してきた動きには、いわゆる太極拳的なものがあるということを、公園で稽古するということを他者の視線からすればそのように見られるだろうという憶測から、あらためて知る。太極拳はやったことがないものの。

 日がどんどん傾いていくにつれ、雑草の姿に、また子供のときのキャンプの記憶が蘇る。ssくんとはじめて出会いかくれんぼのようなことを草丘でやったことを。
 
 アメリカ人らしき一群がフリスビーをバスケのようなやりかたで遊んでいた。日本人学生らしき一群は、典型的な少女の走り姿を笑いながら撮影していた。
 いろんな種類の犬が訪れては走りさっていく。

日も落ち、ずいぶん暗くなり、動きも見えなくなったあたりで、作業を止める。アメリカ人の一群の一部はこちらが稽古している間ずっと座談していた。なるほど日本の金曜日の夜といえば、街に行き、飲んだり買い物したり映画を見たりすることが都市の生活行動の定型であるが、こうして公園でぼうっと過ごすこともあるのだとアメリカ人らしき一群のラフなあり方を見て思い、またなんとなく佐世保ニミッツパークを思い出す。

 本番直前の、偶発的な出来事であったが、そして作品化に向けてはあまり実りがなかったとはいえ、そんなことに無頓着になれるような、変な言い方ではあるが、勇気を与えてもらったような日だった。

 人間の作った技術文化は問題があるとはいえすばらしいとはいえるのだろうが、文化ないし作為漬けになることがある意味において欠落があるのだ、とつい考えたくなった。

 ちょうど文庫化されたドゥルーズの「記号と事件」をまた読み直しはじめていた。かつて何度読んだか知れない冒頭の「口さがない批評家への手紙」のなかの、反理性主義の系譜すなわちルクレティウス、ヒューム、スピノザニーチェにある「内密なつながり」を、否定的なものへの批判、悦びの鍛錬、内面性に対する憎悪、諸力の連関にあらわれる外在性、権力への告発…として書くくだりや、脱人格化のくだり、本のふたつの読み方、その他このすばらしい手紙のすべてと、この日の経験と、いわば電気的につながった。
 逐一引用したいところだが、自分の基本的な考え方の大きくが、この本をはじめとするドゥルーズの本に影響されていたかを、10年以上の時間を隔てても、まだするする納得させられることから、知る。成長していないともいえるのかもしれないが、ガタリドゥルーズラカンに深く触発されながらもラカンの語彙を極力使わずに、「アンチオイディプス」を書いたというインタビューでの記事を読むと、ドゥルーズの語彙に頼らず、できるかぎり独自に思考を展開していかなくてはならないな、と思う。
 以前読んでいたころは、ついて行くのに必死で、うまく距離もとれずじまいだったが、いま読んでいる自分の場所からは、距離が、すくなくとも以前よりはうまく取れているような気もする。

 今日の出来事はとても小さなものであったかもしれないが、舞踊と身体あるいは世界の探求をするうえでとてもいい時間だったと思う。

 このひと月あまり、いくつもの企画や会議、制作や、「歴史」の創作、そして久方ぶりの先生たちや学友たちとの再会など、出来事の単位が大きすぎて、そして疲労のあまり、記事を書くことができなかった。

 稽古日誌もメモだけが連なるばかりで、文章化してこなかったが、いつか振り返りあるいは作業をもっとゆっくりと進めて行くなかで、やっていこう(ある事由からも、やらなくてはならない)。

 構成上の罠といっていいものがあり、それが罠であることもわかっているつもりなのに、つい「一般化」してしまうことの問題。他方、身体が素朴な意味では単一でありながらも、それに触れ、穿るたびに、その多様性に驚きつづける日々であった。

 同日追記:「電気」ということでいうと、トイレで「忍者武芸帳」を読んでいて、ちょうど影一族のシビレの章を読んだことも関係している。忍者ってそれにしても、舞踊的である。というか、いわゆる暗黒舞踏のセクティズムには強く、こうした忍者的なモチーフがある。暗黒舞踏が、「BUTOH」として逆輸入されたのち、さまざまなモチーフが中和され、削除されてしまい、そのような悪しき意味での「歴史主義」が、当初あった荒ぶる力としての前衛性を殺し、結果、その命脈すら断とうとしているような事態になってしまったが、それはともかく、やはり原点のひとつに、この「忍者武芸帳」があったのではないか。
 だから、公園、ドゥルーズ忍者武芸帳と身体が電気的につらなったわけだった。