「邪馬台国論争」

 また佐伯有清「邪馬台国論争」などを読み、九州説と畿内説の「紛争」が傍から見ると滑稽なまでに執拗で、ついでネットで検索してみると、これまたものすごい。
 あるサイトでは、綿密厳密にこれまでの説を詳細に検討しながら、「投馬国」の「投馬」は「トマ」でありそれは「タマ」の原語であるとすることをもって関東地方に邪馬台国はあった!とする説もあった。
 邪馬台国については、いまだ実証されていないがゆえに、たしかに非常に面白い。
魏志倭人伝の記述の解釈と考古学的実証がその実体であるが、この論争を知ってからなんとなく思ったことに、邪馬台国は南方に遠いという話題があり、それなら「邪馬」は「ジャバ」で「ジャワ」でないかと思ったら、その説を提示したひともあった。また、私の出身地の佐世保邪馬台国だった!という説もある。
 この三週間の歴史渉猟の前後は判明としないが、この邪馬台国論から、「海上の道」論に移っていった気もする。