ドラヴィダ/南ー東アジア

ついでに。日本語の系統がいまだ不明であり、混合語であることは言語史というより東アジア政治経済社会文化史から証明できるとしても、やはり言語に特化した比較考証もさぞ面白いだろうと思っていると、日本語論で高名な大野晋さんがタミル語との類似をいっていて、比較言語学者からはその方法論を批判されているが、パッと対照表を見ると、たしかに語彙は似ている。これについては、パロディ的に日本語と英語が類似しているというお話もあり、笑ったが、ただまあ、ドラヴィダ族がいまのジャワ島なり中国経由で渡来していないなんていえなかろうし、九州あたりには、本当に、ドラヴィダ人のような顔をした同級生もいた。姓名は「黒川」。今頃どうしてるかな。
 岡田英弘さんの一般向け本が「反中」のようで一部にはトンデモ学者みたいなことを思っているようでもあるが、「中国」が歴史的にどんだけ政治史的に複雑というか、すさまじいかは、少しでも中国史を齧ると分かることで、とりわけ「日本」を東アジアの歴史のなかで捉えないとだめとか、「中国」というのを単一の歴史をもった国民国家みたいに思うのはまったく違うとかいうのはごく正論であるし、近代以降の中国形成にあたっても、近代日本が相当影響を与えたというのもまっとうといえばまっとうである
 まあいまここでいいたいのは、中国にインド人がどれだけ渡来していたか、とか、まあドラヴィダ語族の歴史を調べて行くといいのだろう。
 まあそれはさておき、ドラヴィダ語が日本語に入ってきているのは仮説としてはありだろうと。
だからまあ、大野氏の方法論を厳密でないと批判するのは簡単であるが、インドと中国とがどれだけ古代中世において文化交流をしてきたかを追う方がいい。
 それを追わずにいま飛躍すると、インド=ヨーロッパ語族ということで、英語にインド=ヨーロッパ祖語が入り込んでいて、対し日本語には、東アジア文化圏=漢字文化圏つまり古代中国帝国および東南アジア経由でも交易はなされており、また、大航海時代以来、ヨーロッパ諸国との貿易もあったわけで、つまり日本語の語彙のうちどこからどこまで入り込んできているかなんてことを考えると、さっきのパロディも笑い話ではなくなる。
 重光葵国際連盟再参加の努力についての番組にはまたも大層感銘を受けたが、そのアジア主義というよりバンドン会議を踏まえたうえでの名演説にあった、「日本は東洋と西洋の混合文化を持ち、それゆえ東西の橋になりえる」というヴィジョンも、このように俯瞰すると、長い歴史的文脈を踏まえたものとなる。
 まあ、まだまだこれからやられるべきことは多い。
 さらについでに、「図説満州」を読んでいて、関東軍、やっぱり暴走しすぎで、当時石橋湛山の警告も空しく響いたのだろうが、満州帝国建国については、やはり過剰で、そりゃ帝国主義的な欲望からすれば、欲しくて欲しくてたまらず、それゆえあれだけ投資し、無茶苦茶やってしまったが、もしあれをせめて石原莞爾くらいの鋭さでやっていたらなどともふっと思うも、もうどうにもとまらないくらい帝国主義は膨張していたから、やはり無理であったか。
 それにしても終戦後のソ連による日本人強制連行は関東軍と等しく最悪。