問いと答え:基礎づけ主義について

先日は暑いなか、お越しいただき、まことにありがとうございました。
東京バビロンの方々にもとてもよくしてもらいました。

上演への反省と、批判への応答はまた今後ということにして、少しだけ。

 身体をある「答え」=真理として見なし、言語/概念を偽とするような考え方(実在主義の変形としての身体主義)に対して、私は身体は問題なのであり、それがなんであるかの「解答」ないし定義をすることよりも、むしろその問いのなかにしか、いることができない、と考える。
 身体を基礎的で根源的な「真理」として見なすその仕方は、哲学で議論されるところの、基礎づけ主義foundationalism に類するものである。絶対確実なる身体なるものの基礎づけ主義とは、この場合、デカルトが明晰かつ判明なるコギトを、その存在の疑えなさを根拠にして考えた仕方と、その仕方において共通し、対象がコギトから身体へ移行したものといっていい。身体主義はこのようにデカルト存在論を裏返したものであるものであると自己認識するのだろうが、思考の形式においては変わるところがない。