kamikitazawa 『うわ、こりゃひでぇ!>日本語版装丁
二つ並べるとヒドさもひとしおです。
イワナミの担当編集者はバカ決定です。
単純に同じにすりゃ良かったじゃないか!>装丁』(2006/03/04 18:22)
kairiw 『いやダサイ装丁他にもたくさんありますよw 鬼のようにダサイ装丁w ホント装丁がひどいから買わなかった本、たくさんあるですw 中途半端なんですよね。岩波文庫とか岩波新書とか法政大学出版局みたいにごくごくシンプルにしておけばいいのに。編集者もさることながら、そもそもだれがどういう美意識でデザインしたのか、ほんと、「不気味」ですw ちなみに鬼のような装丁とは、現代企画室から出ているルネ・シェレールの「歓待のユートピア」という本や「主体とは誰のことか」とかいった本です。この出版社、アート系の本はきちんと装丁しているのに、まあ担当者が違うとああなるのか。残念ですw』(2006/03/04 19:51)
kairiw 『3/1のコメント欄よりの続きです。タイムラグ失礼します。


>つかね、誰も彼も昭和昭和って難詰しすぎだよ(言い出したのはオレの睨むところテレ・ヴィ業界人)。?

「昭和」批判って、言説の勢力としてあるんですか?知りませんでした。ま、僕のは冗談なんですが。というかまw

?>ですからいなくなってるでしょううね>オヤジ?

いやーどーでしょwやっぱ意外と再生産されつづけているのではないかと。風土というかナショナルなものって、いくらそれらが構築されたものであるという認識が広まったところで、実在はしているし、その実在っぷりってしつこいのではないかと。つまりそれって自己のアイデンティティってものに絡むから。歴史とか社会のシステムとかって、まあぼくがいいたいのはメンタリティのことですが、21世紀と江戸時代も、そんなに変わってないのではないかと私は思う、というか感じてますがw まどこまで万国共通の性格類型かってことはありますが。あ、まあさすがにリーマンファッションは未来服wにはなってるでしょうね。
 それに、20、30年後には「オヤジ」と指定されるような年齢にはいま「若い」ひともなるわけで、そうなるとね、どうしても若さへの嫉妬とか、そういう悪感情はどうしても発生するのだろうしで。つまり「オヤジ」は永劫回帰するw
?
>頭山満とか杉山茂丸とかの三角木馬の話

茂丸の息子である夢野九作の書いたもので、いま手元にないのですが、近世快人伝か茂丸回想の文かなんかです。全集に入ってました。
?>だってそれだと今の熊楠受容みたく、サニタイズされて無毒化されてキャラクター化されちゃって、「しゅうめい可愛い〜」「オーカワ萌え〜」みてぇなことになりかねねぇもん。いやきっとそうなるね。冗談じゃねぇよ(笑)。


サニタイズか、なるほど。たしかにそういうこともあるですね、あるかなw〜?
?
>なんでkairiさんが、私がマチズモの復活という深甚なる危惧を抱いてると読解したのかは解かりませんけども(笑)。?

復活という文脈ではなしに、マチズモへの嫌悪感を表明されてたからですよ。しかし筋肉主義w?みたいなのはただのマニエリスム(装飾趣味)としてwおいておくとしても、やっぱヘタレに居直ってはいかんと思いますから。かといってマチズモとか父権の復権とかいうことではないですが。


>一つだけ異見を提起させておらうと、kairiさんや私みたいな「支那に行って支那を獲ります!支那を獲って良い政治を施し、以って東亜解放の盟邦とします!」みたいなキチガイ要素のまったく無い日韓中(あと朝も台もだけど)のごくごくフツーの圧倒的大部分の人たちは、黄色人種キラいなんですわ。自分が黄色人種であることにはなんとかかとか折り合いをつけてるけど、隣の国の黄色人種なんてのはガマンならない。だからそういう部分が「アジア主義」のアポリアだと私は深く思うんですがいかが?


 引用発言はだれの言葉でしたっけ?
簡単素朴にいえば、劣等感の問題かなw いやまあこの三すくみの相互のいがみあいって旧日本帝国がそりゃ火種をつくったのはまちがいないのですが、まあ戦争責任の問題にとどまらないスケールをもってますもんね。近親憎悪のような問題ですし。
 でもやっぱアジア主義は、ヨーロッパ文明一元論つまり「近代(主義)」をどう考えるかの派生問題ですから。いやまあそれだけでなく「帝国」の問題ではありますがね。まあなんとしても「モダン=近代」以外に選択肢がないのかということですね。「J=JAPAN=JUNK」論もいまいちつかみどころがないのですが、そういう問題意識のもとにあるかと。って、まあまがりなりにも「ポストモダン」というカテゴリ−が生まれ、そのもとでいろいろ実践も行われ、「やっぱモダン」と「やっぱオルタナ」の間を往還しながら分裂してへたれになってるのが(私に限らない)言説の現状ですよね。世界中どこでも。まあただ、日本のへたれ振り(プチナショのことです)にはただひたすら恥ずかしく思っております。やっぱいまだに白人種を優越視してるのはおっしゃる通りです。白人コンプレックスは驚くほどありますね。まあしかしそんなのもまたどうでもいいとも思いますがね。なぜならクレオール化はこれからますます進むでしょうから。もっともっとぐちゃぐちゃになっていくのでしょう。と同時に、集権的な監視システム/リスク防衛主義は、「建前」のレベルでますますヒドイことになっていくのでしょう。ただこのへんは未来予測にすぎず、楽観主義をとるか悲観主義をとるかとかいったようなことになりますが、まあ決定は僕にはできませんです。そのつど、ってやつで。? ちなみにぼくはヨーロッパ文明は好きは好きです。言葉への情熱に関してですがね。そういう敬意とは別に、白人を優越視する必要がなかったのは、ぼくが自分は日本人であると幼児のころから感じて育ってないので、つまりアメリカ人として育てられたのでw、そして10年前に自分は日本人ではない(国籍は日本であると強制されているが)、私はモンゴル人であると自己規定していますもので。まこんなこといったら、モンゴルに帰れとかwいわれるかもしれないが、ま一応日本人としての権利ももらってますからね。でもまあこのファンタジーは現実ですがw ??
>ゴビノーって「虐殺やむなし」(←これはゴビノーにはあんまりないか)「滅亡やむなし」ってところがあるでしょ?で、周明にはない。いっさいない。そーゆーとこが周明って、「調子良いことばっか言ってやがるけど現実性あんのかソレ?」って印象に繋がっちゃうってことですね。?

まあw 大川周明については僕がいまだ正確に知らないもので、現時点では打ち止めです。これ以上やると無根拠に周明擁護みたくなってしまうしw まひとつだけいうと、大川周明アジア主義という言説の歴史において、なにもかれをもって全てを代表させることはできないと当然思っております。アジア主義についてはこれまた未読ですが竹内好がやっぱ重要だろうと。まあ知らないことで喋っても、実になりませんのでwこれまた打ち止めないし保留です。ちなみにkamikitazawaさんの周明についてのネタ本はなんですか?


>なんかこの「アウシュヴィッツのあと…」発言に関しては、ハナで笑っときゃいいって決定したみたいなことになってるけど(福田和也なんかはまさにその立場だ)、いま求められてるのは「アウシュヴィッツのあと詩を詠むことは野蛮である!」と堂々と宣言することであり「まさにその通り!」とその発言をハッキリ肯定することではないですかね。私はそう思います。


おお!でもまあアウシュビッツのあとにご飯くうことは野蛮だとかだれかいってましたね。でもむろん、ホロコーストの問題はこれからも延々考えていかなくてはならないことですね。?
?>反美学的様式を生むということで取り敢えず答えを出してみせた芸術という分野と違って、21世紀の今もホロコーストショアーがなかったかのような価値観で展開してるスポーツというものに対して、特にそういう「太平楽な大時代さ」が凝縮してるようなスペクテイタースポーツに対して、ここに来て、「スポーツって、もしかして、イコール・バカ? バカと等号で繋がる?」みたいな雰囲気が日本に限らず立ち現れてるんじゃないですか。


そんな雰囲気があるのですか?これまたぼくは疎くて、知りませんです。まったく事態は逆で、件の意味で、全世界ファシズム化がすすんでいるのではないかと。まあスポーツ批評宣言があったりしてますが、押さえてないので分からないです。あ、日本で限定すると、kamikitazさんのいってるのはシニシズムのことですかね??ま、フーリガンはただの暴徒ですし、不思議なのは、スポーツにおける国民国家のフレームへの一体感がむしろ奨励されていることですね。やっぱガス抜きということで、代理戦争なのでしょうかね。スポーツもでも難しいですね、まともに考えると。でも僕はスポーツの政治性については、芸術と同様、領域として自律性があると考えてます。それに、アメリカやフランスのみが強いとかいうようにコントロールはできてないし、事実上。ブラジル,キューバのスポーツ・パフォーマンスはブラボーですし。このへんはだれかがそう書いていたことですが。つまりスポーツにおける強度の階級と、国民国家間のヒエラルキーとの間にはずれがあるので。国家の経済力・政治力と、スポーツ力(?)とは一対一対応ではないと。
 ホロコースト以後ということでいえば、「世界の悲惨」ないし虐殺はホロコースト以後も連綿とありますし、またナチによるホロコースト及びスターリニズム批判を理由に今日のアメリカニズムは成立していますが、そのことを考慮にいれると、ホロコーストのみを政治哲学の看板とすることはまずいだろうと(つまりホロコースト還元論)。日本はやっぱ原子爆弾のことをまじでいわねばなりませんよね。
 まあサニタイズという言葉が出たついでに思い出したのですが、「世界の悲惨」とかいうと、すぐ現地行けばいいじゃんかと、衛生系保守はいいますね。この種の衛生系保守って学級委員的な奴隷道徳にすぎず、一時的な無力なもんだったのが、いまはそれが作る会および行政によって政策イデオロギー化されているなあと。で他方、作る会的には、サヨクこそが学級委員であったと、これってkamikitazawaさんも体験的にそうだったと以前聞きましたが、バリバリの右翼教育というかほとんど太平洋戦争時代のメンタリティがまんまキープされたままの九州という土地で「教育」を受けた私には、まったく理解できない感覚ではあるのですが。でもどちらが「正義」を語る資格/ヘゲモニーがあるのかってなことになると、どうしてもこういうお互い罵倒語を同じくしたようなつまり幼稚な喧嘩にしかならないのでしょうね。
?
>「大いに遡及すべし!」「言論人が無答責なんてことがあるかぁッ!」と絶叫する部分もあるのですね、上記スポーツ責任論みたいな。


うーんw スポーツ責任論と知識人責任論との絡みが…不明です。ああ、まあスポーツはナチという話でしたっけw スポーツが代理戦争であることはよしとして、つまり軍事による戦争よりはよっぽどましだからです。あとナチ遡及でいくと、異なる人間→劣った人間→人間以下という、人間ランキング=価値付けの原理(あるいは近代的自己アイデンテンティにおける自尊心の成立の仕組み?おれはあいつとは違うという差異化の欲望…)はいまもいきているどころか、近代社会の原理である「合理性」というやつはまさにこれですよね。つまりナチはファナティシズムにおいては非合理的であるとされているが、システム的にはすぐれて合理的であったのではないかと。収容所での死体の処理の仕方、たとえば脂肪で石けん作ったり、皮膚でランプシェード作ったり(ただこれらの「物資」が実際どの程度使われていたのかは知らないのですが)。また思想的にはロマン主義、超越的な志向をもった考え方とかいうことになるとこれまたぐちゃぐちゃしてきます。このへん話を整理しているのが、宮台さんです。宮台真司さんと北田暁大さんの「限界の思考」はもし未読であればぜひ読んでください。
 つまりナチを批判することは簡単であるが、ナチが体現したもの、あるいはまぎれもない近代の産物としてのナチズムという風に考えると、非常にややこしくなるわけで。日本でも国民総動員システム(1940年システム)が高度経済成長をもたらしたという分析もありましたよね。??
>そういう全面懐疑主義だと金持ちが有利だよなぁ。いや金持ちはいつでも有利だけど、様々なのものに交換可能な何かを、バシャバシャ持ってるヤツがヨリ生きやすい/生き残れる社会つーか、いま小菅ヒルトンに行っちゃったホリエモン氏が体現していたとされる価値観/社会観つーか。?

 懐疑主義ネオリベイデオロギーという断定には私は賛同しません。ネオリベラリズム懐疑主義とはまったく逆の価値観・考え方ですよ。ネオリベラリズムは資本主義の価値を絶対普遍とする考え方ですよね。懐疑主義は、すべてを疑うという思考の態度ですから、これは本来相容れないものです。ホリエモンネオリベラリズムを一時的にではあれ体現しようとしたひとではないですか?彼は懐疑主義ではなく、ネオリベラルな価値観を採用し実践したひとです(日本化されてますが)。「既成(規制という)の価値観」を疑ったのはたしかですが、そのことをもって彼を懐疑主義とすることはできません。
 私がいった懐疑主義とは、絶対的な価値は存在しないという意味です。これはローティらのプラグマティズムとほとんど近いです。ちなみにローティは、懐疑主義を否定します。なぜなら彼はアメリカニストつまりアメリカの価値を疑わないからw ローティはしかしアメリカ主義者でありながらネオリベラリズムを批判しています。オールドスクールリベラリストがしかしどのようにネオリベラリズムに対抗できるのかについては、ローティをもっと読まないとなんともいえないのですが、困難なことをやってるなと思います。
 そのような意味でローティの懐疑主義批判を仮に私自身へと向けるならば、私はニヒリストに近いということになるのでしょう。でもそこはいろいろぶれていて、いまだ未決定です。ヘタレですw


>でもそんな社会が持続可能だとは私には思えないんで、過渡的なものなんだろうと思いますけどね私は(アメリカは持続しているが)。?

ネオリベラリズムの本質とは文字通り資本主義に他ならないので、資本主義が今後世界システムとして採用されることはなくなるだろうという予測とも読み取れますが。もしそうなると、資本主義以外のプログラミングを組まないといけない。やっぱネオコミュニズムしかないのだろうか…。 


>でもまぁ権力犯罪が発覚・断罪されていく収拾過程における当事者の態度ってのは日本でもロシアでもアメリカでも判で付いたようにどこでも同じで、「生きるためにやった」「より多くのもの(地位とかカネとか)を獲得するためにやった」「みんなそうだろ?」「まったく恥じるところなどない」って来るワケよ。実際ウンザリしますわ。


だからやっぱ責任論は倫理論として重要ですよね。??
>だいたい中沢新一ってカネ持ってるだろうに多摩センターで働いてるからって上北沢なんて所に住んでたことあるんだぜ!そんな人間信用出来るかよ!?

意味が分かりませんw 
?
>革命否定の論理
>つまり殺し過ぎってことです。


たしかに今日、「革命」を唱えるのなら、革命による虐殺を正当化しなくてはならないでしょうね。しかしフランス革命をまじで否定するような論理、語っているひとはいるにはいますが、どうでしょう、つまり、「近代」を肯定するということ、資本主義を肯定するということは、いくらでも虐殺しますよってことになりますよね。論理的にも歴史的にも。
 今日における自殺者数でいうと、「リストラクチャー/構造改革」という名の下に三万人が毎年確実に殺されていると見なすことができる。「自己責任」という言い方は、個人が社会関係のなかにある存在であるということ、そして自殺を強いられるようなケースがあるということを考慮にいれていない、視野狭窄にすぎません。ただ、思想の選択としては、自殺というのはありだと私は思っています。しかしこれはほとんど少数ですし、統計的な数字と関係がないと思われます。まあ実体としてどのようなケースがどれくらいの割合であるのかを実証的に知るとなると、これまた大変ですがそれは専門家の仕事である。問題は今日の社会システムがどんなシステムであり、そこに問題がないと断言できるのかということです。社会システムの変動による価値観(思考形式)の変動のなか、アノミー(価値基準喪失)が蔓延する。しかしアノミーの問題は、失業対策という政策の問題として考えるべきだと思います。実質的な失業対策を施せないという意味では、やはりそうした「被害者」を国家は放置している。この放置は、厳密にいえば虐殺ではないといえそうですが、しかしある強いられる殺害、そしてその被害者の量を考えるに、やはり虐殺といえる。だから、今日の社会はホロコースト社会であるといえるのです。統治の形式およびテクノロジーはナチの時代よりも格段に「進歩」したともいえる。しかしその本質としての社会の優生学的な原理はなんら変わっていないし、とりわけ日本はそのことにあまりに無自覚であるがゆえ、アメリカなどと比べてすら、より最悪だと思われるのです。つまり、社会でも国家でも、理念がない。そしてその理念がないことを、自虐的に肯定するしかない(JAPAN=JUNK)。現状こそが絶対であり、それ以外の可能な社会を構想することは、「そうはいってもさ」みたいな、自称「大人」というか「諦念」によって、議論を封鎖する。これはどう考えても、まずいですよ。そもそも現状=現実を支配層が被支配者へ押し付けるようなやり方は、たんに権威主義イデオロギーということで最悪だし、自発的服従も同様最悪である。
 私がそもそもいいたいことはこのようなことです。「革命」云々というのもこうしたことを踏まえてのものです。

 …あとまた、「革命」をどのように意味づけるかですよね。ロシア革命に限定するのか、フランス革命、イギリス革命、アメリカ革命、ハイチ革命…どの「革命」のことなのかという。
 革命についての管見は以前いったとおりです。革命の理念ないし目的には私は賛同します。しかしそのプラグラムないし方法論には賛同しません。その点においては、kamikitazawaさんには同意します。しかしだからといって、私はコミュニズムのすべてが間違っていたとは考えません。その意味ではネオコミュニズム(しかしむしろやはりユートピアという方がいいかもしれない)を夢想するプラグマティズムというのが私の現在です。つまり新たにプログラミングする必要があるということです。また、上記したように、私はプログラミングミスということであれば、資本主義だってバリバリにプログラミングミスがあるだろうと思います。』(2006/03/29 04:26)
kairiw 『上のコメント、フォントの関係か、複数箇所「?」が出てしまってます。きれいにしたいのですが、うまくいきません。すみません。』(2006/03/29 04:30)
kairiw 『あと補足というか若干の修正で。

>懐疑主義ネオリベイデオロギーという断定には私は賛同しません。

の箇所ですが、kamikitaさんのいってたのは、懐疑主義だとネオリベに対抗するには弱いとい意味でしたね。ですから、二つの連関を「断定」したとする私の解釈を修正します。しかしまあ私の趣旨については、それより後での文へとつらなっていったので、変更はありません。』(2006/03/29 04:57)
kamikitazawa 『ありゃ、いつの間にかレスが付いてる。

えと、さて、

>「昭和」批判って、言説の勢力としてあるんですか?
<言説としての勢力>なんてもっともらしいものはもちろんまったく無いですが(だいたい「批判」にすらなってないし)、他人を黙らす悪口としては、現状社会的に非常に有効に機能してるんじゃないですか? 

>若さへの嫉妬とか、そういう悪感情はどうしても発生するのだろうし
<若さへの悪感情>なら私にも厳然としてあるよ(笑)。
「子供の頃イヌに咬まれたからイヌがキラい」という人がいるけど、私は「若い頃若いヤツにバカにされてたから若い頃から若いヤツがキラい」だもん(笑)。
んーでも、今や<若さへの悪感情>はそういう<(いわゆる)オヤジの性格類型>の中で、さして大きな部分を占める物ではなくなっているのではないかいな?

>やっぱヘタレに居直ってはいかんと思いますから。
私はヘタレに居直りたいね(笑)。
でもそれってイマドキの�ネット右翼�みたいなヤツラの志向性とまったく同じ心性なんで(�ドキュン差別�みたいなね)、確かに難しい問題ではあるんですけどね。
でもやっぱり私は<マティズモ>という言葉が適確かどうかはひとまず措くとしても、肉体に関するものについても精神についても、制度に関しても心性に関しても、�強さ�を担保にするような言説には強い嫌悪と警戒感を抱かざるを得ないですけどね。てめぇそんなに強さ強さって言うんなら、他人に言葉で説教してないで黙って自分で行動すりゃいいだろうってことですわ。そういう物言いってけっきょく誰も幸福にしないと思う。一種の強迫反復としか思えない。

>引用発言はだれの言葉でしたっけ?
荒尾精ですね。
知ってると思いますけど明治人で�支那派�軍人の元祖みたいな人です。
出典はアノ『東亜先覚志士紀伝』。
ちなみに一言一句正確な引用じゃないです。

>ちなみにぼくはヨーロッパ文明は好きは好きです。
>言葉への情熱に関してですがね。
そんなこと言ったら私だってそうだよ。
つか、インテリだったり芸術だったりする人間は、世界中どこ行ってもみんなそういう意味ではヨーロッパ好きでしょ。

>私はモンゴル人
これ前も言ってたよね。
意味はさっぱり解からないんだけれど(笑)。
いや、�モンゴル人��モンゴリアン・ナショナリティand/orエスニシティ�という意味じゃなく、�モンゴル人種��モンゴロイド�という意味で言ってるんならまだ理解出来るんだが(ごくフツーの発言になるので)、そういう意味じゃないらしいからなぁ。

アジア主義についてはこれまた未読ですが
竹内好がやっぱ重要だろうと。
そうね。
おもいっきり毛沢東賛美とかしてますけどね(笑)。
あと「リクツとしての完成度の高さ」ってことではやっぱ岡倉天心
でもまぁ所詮は芸大の学長なんで、荒尾精や大川周明と比べると大いに面白味は欠きますね。

>周明についてのネタ本
全集とかは読んでません。大川訳『古蘭』とかも読んでません(重訳らしいですけどね)。それなのにエラソーに発言してすんません(笑)。
とにかく私は�エピソード主義�なので(ははは)、乱読・雑学で「コレ!」っていうネタモトはハッキリ言うと無いってのが本当のところなんですが、出来る限りバカにされなさそうなヤツを一つ挙げれば(笑)、筑摩書房の『現代日本思想体系』、それの『アジア主義』『超国家主義』あたりですかね。絶版ですけど。
それと中公新書の『大川周明』も「新書じゃねーか」「通俗入門書じゃなねーか」とバカには出来ません。
でも、これ、著者の人が大川に著しく傾倒してるらしく、それで分量が限られてるからか何なのか「著者が大川をホメばホメるほど、読者は大川が何でそこまでホメられなきゃならない人間なのか解からなくなっていく」という本になってます。うーん。

>世界に拡がるスペクテイタースポーツバカ論
>そんな雰囲気があるのですか?
あると思いますけどね。
例によってネトモトとかパパッと提示出来なくてダサダサですが。
つか、kairiさんが、
>まったく事態は逆で、
>件の意味で、
>全世界ファシズム化がすすんでいるのではないかと。
と思われるということこそが<スペクテイタースポーツイコールバカ論>を下支えするんじゃないですか。
そもそも昔から欧米では、「スポーツを観て楽しむのは教養の無い貧乏人、教養と余裕のある階級はスポーツをして楽しむ」って社会通念が確固として存在するらしく、だいたい、
ファシズム
フーリガン
国民国家のフレームへの一体感が奨励されること
>ガス抜きとしての代理戦争
って、どれもこれもあんまりあからさまにやるとブルジョワ&プティブルやインテリ、それに芸術な人たちみたいなセンスリーダーにはヤがれることばっかじゃないですか。
で、そこにスポーツの全世界規模でのビッグビジネス化と、それに伴う「なんじゃかじゃ言ってどいつもこいつも結局カネが欲しいだけじゃないか!」という気分の地球規模での共有現象が相俟って、非常に単純化して言うと「テレヴィでスポーツを観るのはどちらかというとダサい、バカのやる行為」という感覚に結実してるんじゃないかと、私は思いますけどね。

>でもどちらが「正義」を語る資格/ヘゲモニーがあるのか
>ってなことになると、
>どうしてもこういうお互い罵倒語を同じくしたような
>つまり幼稚な喧嘩にしかならないのでしょうね。
極め附けにつまんない意見なんで言いたくないくらいなんですけど(笑)つまり真面目なんだよね、右も左も。なんせ学級委員だから。
「寝ないで受験勉強して○○大学に入って、入学後も寝ないで勉強して高倍率の入ゼミ試験を突破して有力ゼミにも入って、在学中からカレコレの免許・資格も取って、その努力の積み重ねが現在の○○社社員という立場です。その経験は精神力と人格の陶冶にももちろん役立ちましたシャキーーン!」って真顔で言うようなヤツばっかしだからな、あーゆー�運動家�ってのは。
てことはつまりこの国で最も支持される社会層もそういうヒトタチによって構成されてるってことで(そうじゃない人は�運動�からはじかれる)、でも自負し評価する一方でそのことに堪らん息苦しさも感じてるもんだから、アタマ悪い�不良性��無頼�みたいなシロモノ(バカなマティズモ!)にもテもなく引っ掛かる、と。
つくづく面白くない話だなぁ。

>スポーツ責任論と知識人責任論との絡みが…不明です。
絡みはありません(笑)。
ただ話の勢いで並列的に書いただけ。
つか、「スポーツなんてみんな有責なんだよ!」つームチャさと、「知識人の言論責任を無限追及すべし!」つームチャさは、その人民裁判的・シャリヴァリ的・リンチ的性格において共通するのではないかと、そう思ったもので。

>近代社会の原理である「合理性」というやつはまさにこれですよね。
>システム的にはすぐれて合理的であったのではないかと。
そうですね。
現代社会で管理国家じゃない先進国ってのはないわけで、そういう意味でナツィってのは極めて先取りしてたと言えるでしょうね。

宮台真司さんと北田暁大さんの「限界の思考」は
>もし未読であればぜひ読んでください。
了解。

>日本でも国民総動員システム(1940年システム)が
>高度経済成長をもたらしたという分析もありましたよね。
満洲国イコール戦後日本説」ですね。
私も賛成してる見方ですけどね。

懐疑主義
んーおっしゃること良く解かるんですけど、つまり金持ちと貧乏人がケンカする場合、貧乏人としちゃ懐疑主義よかドグマをかざして闘ったほうがまだ勝てるチャンスが大きくなるんじゃいかと(ボルシェヴィズム!)、そういう思いつきです。なにもかも疑ってる余裕なんか貧乏人にゃ無い、というか。

>ローティはしかしアメリカ主義者でありながら
ネオリベラリズムを批判しています。
へー。
興味深い立場ですね。
オレ好みというか(ナニをエラソーに)。
宮台さんに近い立ち位置ですね。
宮台さんは「日本主義者(いや正確には�アジア主義者�だけどさ)でネオリベラリズム批判派」ですから。

>>だいたい中沢新一ってカネ持ってるだろうに
>>多摩センターで働いてるからって
>>上北沢なんて所に住んでたことあるんだぜ!
>>そんな人間信用出来るかよ!
>意味が分かりませんw
いや、あの人はスタイリストを気取ってるワケですよ。
それで上北沢ってのはホントダッサダサでひっどいところなんですよ
(だってマトモな本屋も、マトモなコーヒーを飲める喫茶店も一軒も無いんだから!)。
それなのにスタイリストを気取る人間が、「通勤に便利」「家賃が廉い」みたいな極めて実利的な理由で、自分の住処を決めるなと、そゆことです。
ま、さすがに「あ、ここスゲーダサい!」って住んでてすぐに気付いたらしく、あっちゅー間に出て行きましたけどね。でもそういうワキとかツメとかが弱いところもスタイリストじゃねよなぁ。
 
>革命 コミュニズム ユートピア
私もこういうもの↑にはみんな賛成ですよ。
ただし留保条件が付きますけどね。

でもかなり左な人でも、「グローバライズは避けられない」「経済発展は社会福祉・弱者救済のためにも必須」なんて言ってたりするからなぁ。
でもそんなこと言ってたらそのうち「安楽死の全面化」「自殺者センターの設置」「公共セクターが税金を使って行う�社会政策��社会福祉�は自殺者センターの建設と運営だけ」なんてことになるよ。
まー公共自殺者センターには私は大賛成だけどね。
ってそれこそこういう感覚は<アノミー>で<ニヒリズム>で<諦念>だよなぁお恥ずかしい。』(2006/03/29 15:04)
kairiw 『>「昭和」批判>他人を黙らす悪口としては、現状社会的に非常に有効に機能してるんじゃないですか? ?
まあ21世紀の時代精神は、これから20世紀をどんどん批判していくのでしょうね。そういう流れにあるものということですかね。いずれにしても、昭和批判、耳にしたことがなくってw

?>私は「若い頃若いヤツにバカにされてたから若い頃から若いヤツがキラい」だもん(笑)。?
wwww 私はむかしもいまも「大学生」が大嫌いです。kamikitazawaさんはたぶんヤンキー嫌いなんですねw ヤンキ−ねえ、ツッパリの美学は僕はいいと思ってますw というかまぼくはヤンキーではなかったですがねw


>んーでも、今や<若さへの悪感情>はそういう<(いわゆる)オヤジの性格類型>の中で、さして大きな部分を占める物ではなくなっているのではないかいな??
んー、なら何が占めているとお考えですか?って、一般オヤジ論やってもしょうがないんですがw
?>私はヘタレに居直りたいね(笑)。?>強さを担保にするような言説には強い嫌悪と警戒感を抱かざるを得ないですけどね。てめぇそんなに強さ強さって言うんなら、他人に言葉で説教してないで黙って自分で行動すりゃいいだろうってことですわ。そういう物言いってけっきょく誰も幸福にしないと思う。一種の強迫反復としか思えない。?

具体的にはどんな言説のことですか?政治運動論一般についてですか?

?>荒尾精?>知ってると思いますけど明治人で支那派軍人の元祖みたいな人です。?
いや知らなかったです。その言葉は前、kamikitazaさんから聞いたのではじめて知りましたです。

?>私はモンゴル人?私のロマン主義ですw これは奥の院ですw???>周明についてのネタ本?>全集とかは読んでません。

読んでたとしたら、深く頭を下げますw

?>スペクテイタースポーツバカ論?>全世界ファシズム化?>下支え

私がいいたかったのは、スポーツ批判論よりも、スポーツ礼賛の方が勢力として圧倒的に強いのではないかということだったのです。「全世界ファシズム化」とはその意味でした。
 ?>「スポーツを観て楽しむのは教養の無い貧乏人、教養と余裕のある階級はスポーツをして楽しむ」って社会通念?
ゴルフなんてまさにそのような「財」として機能してますね。

>「テレヴィでスポーツを観るのはどちらかというとダサい、バカのやる行為」という感覚

うーん、やっぱわからないのは、だれがそういっているのですか?
 みんなテレビで観てるとばっかり思ってましたが。というか、人数でいえば、どう考えても、テレビ観戦しているひとの方が、球場なりスタジアムなりに行くひとよりも多いのではないですか?
 いやkamikitazawaさんの問題意識に不明なところがありまして、スポーツを否定するということなんですね?結局は?違うかな?
???>「寝ないで受験勉強して○○大学に入って、入学後も寝ないで勉強して高倍率の入ゼミ試験を突破して有力ゼミにも入って、在学中からカレコレの免許・資格も取って、その努力の積み重ねが現在の○○社社員という立場です。その経験は精神力と人格の陶冶にももちろん役立ちましたシャキーーン!」って真顔で言うようなヤツばっかしだからな、あーゆー運動家ってのは。

運動家というとき、代議士のことですか?市民運動家学生運動家?「プロ市民」?
 パワーエリートはそういう保守運動にこそ関われど、批判運動には加わらないのではないですか?

>てことはつまりこの国で最も支持される社会層もそういうヒトタチによって構成されてるってことで(そうじゃない人は運動からはじかれる)、でも自負し評価する一方でそのことに堪らん息苦しさも感じてるもんだから、アタマ悪い不良性無頼みたいなシロモノ(バカなマティズモ!)にもテもなく引っ掛かる、と。?
うーん、保守運動家に対しておっしゃってるようですね。そうかそうか、なんとなく分かってきました。たしかにパワーエエリートのイデオロギーはね、たしかにたしかに。納得しました。
 パワーエリートで左翼のひとにあんまり会ったことがないので、よく分からなかったです、話が。インテリ層はまた別ですが。
?
>人民裁判的・シャリヴァリ的・リンチ的

まあブログ炎上とかねw あれはまさにシャリヴァリのようなw

?>ナツィってのは極めて先取りしてた

そう、だから、さる手堅い研究者の方が、「最後に勝ったのはナチではなかったか」と帯にあるような本を出版されてます。内容はまだ知らないですが。???>なにもかも疑ってる余裕なんか貧乏人にゃ無い、というか。?
しかし金持ちだって、疑ってる余裕もなかったりするでしょう?
年収200万に満たない貧乏懐疑主義者も知り合いではいますがね。まあ文化資本と経済資本との絡みの話で、ここも詰めるとややこしいのですが。
 しかし階級意識つまりいかに客観的に自身の社会的ポジション知るかについては、ドグマイデオロギーに染まったブルジョワプチブルも、ドグマティックなプロレタリアート(会ったことはないですが。そう建設現場にドグマなどはないです。労働があるだけで。ドグマイデオロギーを持つのは、ほとんど、有閑階級なりある程度文化資本を持ったものです。)も、持てないでしょう。つまりドグマ=教条主義だとただの暴力闘争にしかならないから。ここについてはまた書きます。
 ?>グローバライズ>経済発展>必須

資本主義以外のプログラムが立ってないからでしょう。しかしここは本当に超ど級の難関問題ですからねえ、なんともはや。「発展」はともかく、資本主義以降、経済的安定性をだれしも望むわけだし。
 「経済人類学への招待」という本で、未開社会のカロリー消費量なり一日の時間割などを計算すると、今日の近代社会よりも、余暇時間は多く、栄養も問題なかったとありました。まあだからといって文明を捨てようってのも性急な冒険主義ですが、しかしこのような信頼できるデータをもとに、新たに社会なり文明なりのモデル・ビジョンを構想しなくてはならないですね。
 そのうえで、現状批判をやらないと、結局、巻き込まれて終わりですし。

>「安楽死の全面化」

それはそうですね。しかし苦痛死よりは安楽死の方が、尊厳死ではないですが、いいと思います。私は安楽死したいです。ドクターキリコを私は擁護しますw


>公共自殺者センター

いやいや、まさにそのようなことが必要ですよね。カウンセリングでも無料法律相談所でもいいのですが、アホな建物とか空出張とかくだらない研究とか芸術に税金使うよりも、いますでにある知識なりストックなり人的資源なりで、編成次第でいくらでもよくすることはできますよね。』(2006/03/29 18:30)
kairiw 『うーん、なんか壊れてしまう。なんですかね。読みにくくて、すみません。』(2006/03/29 18:32)
kamikitazawa 『>うーん、なんか壊れてしまう。なんですかね。
>読みにくくて、すみません。
ギャハハ!
ってことはレス返さないほうがいいですかね?
あと場所はココで容量は大丈夫?
でも今夜はブタ肉ゆでててその番で寝れないので回答させていただきますです。

さて、

>いずれにしても、昭和批判、耳にしたことがなくってw
いやだから<批判>じゃないですよ。単なる「他人黙らせツール」ですから。
しかしこういうこと言われると自分がいかに日々バカな空間で低回しているかを思い知らされていささか悲しくなりますシクシク。

>kamikitazawaさんはたぶんヤンキー嫌いなんですねw
嫌いですね。すぐ威嚇・暴力ですからね。好きになれるわけがない。
でも大学生も大嫌い。世の中にあのくらい思い上がった人種はいない。かつての体験を思い出しただけでムカムカする。

>んー、なら何が占めているとお考えですか?
>って、一般オヤジ論やってもしょうがないんですがw
そうね、確かにしょうがないね(笑)。
でも現在→未来のいわゆるオヤジの性格類型の過半を占めるであろう要素ってのは何ですかね。私はちょっと興味あるけどね。
で、考えてみると、「多様性への嫌悪と憎悪」ってとこかしら? それでそれが昔ながらの「若者憎悪」みたいにも見えるけど、それは観察してる側に一昔前のヘンな先入観があるからであって、オヤジたちは別に「若さに嫉妬」とかしてるわけではない、ということね。

>強さを担保にするような言説への嫌悪
>政治運動論一般についてですか?
じゃないですね。
この世で行われてるすべての言説について私が持ってる一つの考えですね。だから当然<政治運動論一般>も含まれますね。それから私は日本語しか解からないので、「日本語の言説空間において」ってことになりますね。

>スポーツ礼賛の方が勢力として圧倒的に強いのではないか
>ということだったのです。
んー、そりゃ数は圧倒的に多いでしょうけど、社会的影響力という面では極めて小さな力しか持ち得ない人々によって、スペクテイタースポーツというものは支持されているのではないか?っという一つの推論を申し述べたかったわけでして。

>やっぱわからないのは、だれがそういっているのですか?
いやあのですね、この推論は私がアチコチのサイトやら新聞雑誌記事やらで見た情報を、私の頭の中であっちの思い付きと食っ付けたりこっちの情報と掛け合わせたりしてるうちに出来上がってきたシロモノなんで、そういうふうに「ソースを明示して下さい!」的なことを言われても困ってしまうんですねすいません。

>人数でいえば、どう考えても、テレビ観戦しているひとの方が、
>球場なりスタジアムなりに行くひとよりも多いのではないですか?
いやそりゃそうですよ。
だから「典型的なスペクテイタースポーツとの接し方の例」として「テレヴィ観戦」を挙げただけなんであって、私の言う「バカな観客」には当然「球場なりスタジアムなりに行くひと」も入るわけです。

>スポーツを否定するということなんですね?
そうきたか(笑)。
しかし私にこういう質問をするというのは、私に「あなたは生物学的に男性ですね?」と訊くのとほぼ等しいですね(笑)。
えーつまり、私は常にスポーツというものを否定したいと熱望してる者でありますです。
六つのころ顔面に思いっきり叩きつけられたドッヂボールの痛さは一生忘れられん!(いやそもそも私はゲイムに参加してなかったんだよ!)「スポーツ=爽やか」というワケ解からん図式を少しでも切り崩せるのならなんだってやってやる!(また私怨かよ!笑)

>運動家というとき、
>代議士のことですか?
市民運動家
学生運動家?
>「プロ市民」?
この中で<代議士>は外れますね。
でも日本の左翼政党の代議士は入るかな。
それで後はみんな該当しますね。

>パワーエリートはそういう保守運動にこそ関われど、
>批判運動には加わらないのではないですか?
そりゃその通りですよ。
ですから市民運動家学生運動家とプロ市民人権屋のことですよ(っていつの間にかカテゴリーを一つ増やしてるが。笑)。

>保守運動家に対しておっしゃってるようですね。
いやだから左翼活動家も入りますよ。
<○○社>とか書いたからホシュっぽくなっちゃいましたけど、そうね、左翼なら<○○大学の常勤講師になれました>とかね、書き換えればさ。
いっぱいいると思うんだがなぁ私は、そういう人、左翼にも、もちろん保守にも、運動家には。

>そうかそうか、なんとなく分かってきました。
>たしかにパワーエエリートのイデオロギーはね、たしかにたしかに。
>納得しました。
えーと、理解してくれたところでお言葉を返すようで悪いんです
が(笑)、私が言っているのはあくまで<運動家>の話でありまして、決して<パワーエリート>の話はいたしておりません。
つか、私は恥ずかしながらこの歳になるまで一度として、社会に広範な影響が及ぶような決定を行う立場に立つ存在である<パワーエリート>なんていうものと、会ったことがありませんです。

>パワーエリートで左翼のひとにあんまり会ったことがないので、
>よく分からなかったです、
>話が。
いや、少なくとも日本には<左翼のパワーエリート>ってのはいないんじゃないですか。さすがの宮台さんも<パワーエリート>までにはなれてないし。

つか、これは私とkairiさんが<運動家>というものに対して抱いてるイメージが著しく違うというのがまず最初にありますね。
いや確かにだめ連界隈とか見てれば、私の持ってる<運動家のイメージ>に合わない人がいっぱいいるなんてことはすぐに解かりますが(笑)、それでもあの界隈にすら私の言うような(あまりいい意味じゃなく)真面目な人っていうのはいますし。
うーん、なんて言ったらいいかな、つまり、「主流社会に本気で影響を与えたいと心底思って活動してる運動家」と言いますかね。だから一つのモデルとして言えば、左翼なら日共党員(を含むすべての意味におけるスターリニスト)、保守ならつくる会ですかね。
こう敷衍させていただきまして、少しはkairiさんの理解の手掛かりにはなりましたでしょうかどうでしょうか?

>まあブログ炎上とかねw 
>あれはまさにシャリヴァリのようなw
はは。
でも私は、「ブログ炎上常に非ならず」と考える者ですけどね。
kairiさんの言われる「日本的な先回りした抑止」みたいな意味じゃなく、或いはそれを含めても、「こんなこと言ってりゃ今の時代このくらいのことにはなるよ」っていうのはあると思うんで、「ブログ炎上すなわち非なり」「コメントスクラムは現代の恥ずべきシャリヴァリ」みたいな意見が、それこそ「知性の証明」みたいになるのもなんだかなぁと思います。

>しかし金持ちだって、疑ってる余裕もなかったりするでしょう?
ふうむ。

>建設現場にドグマなどはないです。
>労働があるだけで。
>ドグマイデオロギーを持つのは、
>ほとんど、有閑階級なりある程度文化資本を持ったものです。
いや、ガツンとヤられましたね(笑)。
でも東京土建(日共系土建労組)のそれこそ<運動家>の人に、ドグマティックにガツンとヤられた(殴られたわけでなないよ。念のため)ヤな経験とか私にはあるがなぁ(笑)。

>しかし苦痛死よりは安楽死の方が、
尊厳死ではないですが、いいと思います。
>私は安楽死したいです。
>ドクターキリコを私は擁護しますw
そりゃそうだ。
私も全面的に賛成。

こんなところですか。』(2006/03/30 01:05)