3,青銅器の、スキタイの

携帯からメール投稿ができると表示されとるのでやってみる。九州までの新幹線で上垣外憲一さんの『倭人と韓人』(講談社学術文庫)を読みだす。大変よくまとめてあり、自分も古代史やっててつい資料に呑まれて頭痛くなるので、こういう整理の仕方を見習わないと。
 第一章だけでも相当のまとめかたで、とくに青銅器の遺跡分布についてはかの谷川健一さんの傑作『青銅の神の足跡』をわずか数ページでまとめられた感もある。もっとも谷川本は浩瀚で、その膨大な資料編纂とフィールドワークとの往還の力学が魅力なので、同列で語れるわけではないが。
 それにしても、「青銅の神の足跡」も「白鳥伝説」も小学館ライブラリーで出てたのに、この小学館ライブラリー、どうも2001年で停刊しているようだ。うーむ。

 さてこの古代の青銅器がなんで重要か。
古代史ファンはみな知っているが、これは日本人が誰かということに関わってくること。というか、「関わる」どころか、モロその問題である。
 わたしたちは「日本人」という。しかしこの「日本」という名前は民族名でもなんでもなく、古代国家の国号である。この「日本」の国号成立時期については吉田孝『日本の誕生』(岩波新書)をはじめ近年とみに研究がすすんでいる。現在の研究ではおよそ7世紀後半から8世紀にかけて、成立したといわれる。663年の白村江戦争で、唐と新羅の連合軍に倭国百済の連合軍は敗北し、百済国家は滅亡する。そのあと、日本列島では防衛体制が急速に構築されていくとともに、壬申の乱(672年)という紛争にいたる。紛争に勝利した大海人皇子あらため天武天皇以降、「日本」という国号が成立したといわれる。
 その前は「ヤマト」とかいろいろいわれるけれど、「倭国」であった。また、列島もまだ統一していない。東日本の蝦夷(えみし。後年のエゾとは異なる意味。またアイヌ限定でもない。)や南九州の隼人もまだ併合されていない。
 さて青銅器の話でいうと、これは鉄器登場以前*1のことで、たとえば紀元前二世紀ごろを指している。
 もっとも早い時期の青銅器では、細形銅剣が出土している。北九州・山口県の遺跡からで、紀元前100年ころのもの。この細形銅剣は朝鮮半島で使用されていたもので、列島での製作を示す鋳型はその後紀元0年あたりのものが北九州で現れている。
 朝鮮半島での青銅器細形銅剣はといえば、さらに中国東北部・南シベリアとの共通性を持つ。青銅器細形銅剣の祖型は、遼寧省十二台子遺跡の琵琶形短剣とされており、この琵琶形短剣はといえば、南シベリアのカラスク文化と同系統とされる*2
 また箱式石棺は青銅器を副葬品とするものだが、これもおなじく南シベリアから半島を経て、日本列島でも見いだされる。
 このように青銅器文化圏は、南シベリア・中国東北部朝鮮半島・日本列島にかけて分布しており、当然ながらこれはまた、古代ユーラシアのスキタイ人の青銅器文化と連なっている。
 もっとも、この青銅器は、時間的にはさらに紀元前3000年に溯るわけで、メソポタミアのシュメール文明で発明されたものである。イラン高原に豊富な銅鉱石は錫を同時に含むため、簡単に青銅が得られたという。ちなみに鉄はヒッタイト人が使い始めたとされる。
 スキタイについてはいまでは林俊雄氏をはじめ続々発表されている。

スキタイと匈奴 遊牧の文明 (興亡の世界史)

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スキタイ騎馬遊牧国家の歴史と考古 (ユーラシア考古学選書)

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ユーラシアの石人 (ユーラシア考古学選書)

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 これらをパラ見すれば、スキタイの痕跡が朝鮮半島はもちろん、それと日本列島も連なる。

 さて日本列島に人間が大陸や南方から渡来してきているのは、列島が人類発祥の地でもない限り(平田篤胤学派はそういう)、あたりまえなのだが、こんどはその時期が問題となる。
 ここもいまでは篠田謙一氏や崎谷満氏らの研究が陸続*3

日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

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DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?

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 上垣外本では、ひとまず二度の波について触れられる。一度目は紀元前4世紀〜3世紀の稲作民渡来。二度目は青銅器を特徴とする紀元前100年頃。
 さらに上垣外氏はこの二度目の浪について、漢の時代の楽浪郡設置と同時期であることを指摘し、紀元前108年の漢による衛氏朝鮮滅亡のことを想起する。
 衛氏朝鮮の一部は漢に追われ、半島を南下し、海岸部にまでいたっている。氏は、北九州や山口に青銅器を持って渡来した人々を、まずは衛満(衛氏朝鮮の建国者)の軍に追われ半島南部に達し、さらに漢に追われて南下してきた衛氏朝鮮に追われ、玄界灘を越えたのではないかと比定する。

 まーここも他にもいくつも渡来浪のモメントがあるので、いずれなんとか私なりにまとめたい。

 とにもかくにもこうして起源論をやると、容易に「日本人」ともいいえないことが知れる。とりわけ「日本民族」というのは、すくなくとも国号成立以降のカテゴライズなのであって、国家の構成員という意味での「日本国民」以外を意味しないのである。そうしてこのあたりの話はこれまで方々で話して来たのだが、左であれ右であれ、古代史や先史に興味あるひと以外には、なかなかピンとは来ないようである。それはいずれもが、「日本」というカテゴリーを前提としているがゆえである。

 なお、携帯では上記のような文は書かれ得ないのであった…。

*1:鉄について上垣外氏は奥野正男邪馬台国はここだ』を参照している。現在では奥野氏『鉄の古代史』(全三巻、白水社)が出ているのでチェックしないと。

*2:上垣外氏は金廷鶴編『朝鮮の考古学』河出書房親社,1972を参照している

*3:簡単なまとめはウィキペディア「日本人」参照。また西方雑纂「日本と東アジア年表