2005-06-01から1ヶ月間の記事一覧
もしbのいう「自由」なんて問題とならない(これも明示されてはいないが、暗示されている)という言表が正しく、そうして「自由」が認められないとしたら、それこそ、国家の指定するイデオロギー(資本主義国家にとっての自由主義、社会主義国家における社会…
これはもしかしたら、カントのいう「理性を公的に使用する自由」とリンクする。 カントはいう。「啓蒙を成就するに必要なものは、実に自由にほかならない。しかもおよそ自由と称される限りのもののうちで最も無害な自由、すなわち自分の理性をあらゆる点で公…
それでも、この矛盾を私なりに克服したい。そこから、思考の「自由」という問題へとコンテクストは拡張されたのです。 上部構造は、下部構造によって、規定される。しかし、人間は認識を変えれば、行為も変えることができる。「選択」の問題はまさにここには…
それと、私は括弧つきで、「資本主義者」であると自己規定した。それはもちろん、素のかたちで資本主義を肯定したいがゆえに、そういっているわけではない。現在、生きる社会は、計画経済ではなく、自由市場によって構成されている。そしてそのなかで時に不…
結論は、bの問題提起は、私にとって、甘く感じられるし、また、おそらくはbは自己を唯物論者として自己規定しているようであるが、それならなぜ、次のことを考えないのか? 今日、唯物論、もっと直接にいって、マルクス主義を標榜するのか、しないのか? マ…
「選択の自由」とか「リバタリアニズム」批判というのは、性急にできることではないし。そもそもわたしの領分でもない。私は、現在、私なりに、「自由」について考え直したいだけです。その意味では「リバタリアニズム」批判は、下位問題である。まあ私は、…
私はbの書き込みを「揚げ足取り」であるといった。それは私のコンテキストを無視しているようにも読めるからだ。それはこうも読める。 私は現在、アメリカおよび資本主義社会内に生きる「資本主義者」として、リバタリアニズムについて知見を広め始めたつま…
で私が私のやり方をどう見なすかについては、このブログでの「学習」はあるひとからすれば「スノッブ」のように見えるだろう。しかしスノッブとは、知識披露による虚栄心の充足のことである。しかし私はそのように文体を構成していはいない。もし私が虚栄心…
いいたいのは、漸進的あるいは問題解決的にしか、認識は進まないということ。bは、私が漸進主義だとすれば、急進主義(w喜びそうだな)であって、そして私には、その急進主義が、観念論的に見えるということだ。ここでいう観念論的という意味は、知識への態…
で、勉強は別である。勉強は、情報摂取なので、こういう考え方もあるのだと、まずは知って、そのうえで、どこが問題か、どこが間違っているのかの、批判的な検討に移る、という段階がある。その段階を飛び越えていくことは、語学などと同じで、不可能という…
2-1 唯物論的な分析個別の現実政治的な事象について、実践的・批判的に考えて行くことが、「唯物論」ではないかと私は思う。唯物論は、「観念論」を、逆転させる、というのはそういう意味ではないでしょうか? 唯物論/観念論の対立は、哲学史的には、唯名論…
で、私が経験した限りでは、役人はまさにリバタリアニズム的な立場をとります。しかし意識的には(個人差はあるでしょう)法なり義務なり、というか「みんなやってる」という表現を取る。 しかしそれはまさに、「誰が」発話しているのか、ということです。企…
私は税金の問題は、やはり相当、重要だと思っています。また、これこそ、生活に関わるリアル・ミクロ(といっても税金システム問題はマクロレベル)ポリティックスでもある。 私が関わる会社は年間相当な税金を支払っていて、なんとか対策しないと、倒産して…
「選択の自由」が、純粋なあるいは抽象的な観念であるはずがなく、それは社会関係・支配関係を前提にする ことは、もう忘れたけど、以前「価格理論とその応用」の読書会やってた時に出てた話と同じだ。なんだったっけ、合理的期待形成学派?あマネタリズムっ…
字がコピペすると、白字になるので、引用コピペができない!で、
アメリカを巡るid:NakanishiBとの対話?が、量的にコメント欄の範囲を超えているので、記事とする。
つい。新聞について文句いうひといままで周りにいなかったもんで、たまってたんで。 でもま、件のデリダ本に収められている「日延べされた民主主義」では、世論についてのものであり、ジャーナル、日刊新聞についても触れられている。 世論:幽霊、否定政治…
あー、ずれるずれる。議会制民主主義なんだ。それでデリダ「他の岬」は、1990年「リベール」という新聞に発表された記事。この「リベール」という新聞は、ドイツ「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」、イタリア「インディチェ」、フラン…
でまあ、大いなるモード転換で、頭がヒートwしてしまって、 森村進編著「リバタリアニズム読本」を、ビジネス本に混じって購入し、ぱらぱら斜読みして、「そうか、私はリバタリアンだったのか(もしれない)」と帯びに一瞬、折伏されそうになったが、まあア…
この数日、もはやアメリカ問題と直面しているもので、19世紀、18世紀、17世紀、バロックとかってぐるぐる回って、結局、アメリカ問題に帰着したわけだった。 それで、 アイザイア・バーリン「自由論」 ルイ・デュモン「個人主義論考」 ジャック・デリ…
代表制representationの問題。代表=表象の問題。まったく、近代における政治的思考システムといわゆる表象文化(とりわけそれは視覚芸術に「代表」される)における「思考」システムとは、交差、いや、連動している。 しかしこのリプレゼンテーション批判は…
宗教戦争のことも、宗教史を繙けば、原始キリスト教は排斥されていたが、のち国教化され、神権政治テオクラシーにいたる。そして異端審問。マニ教に由来するとされる南フランスのカタリ派。魔女狩り…。 そうして、現代も、近代が発明したデモクラシーを通過…
…また、思考の自由のようなことは、行為に関しては認められないということ。 殺人について思考をすることは自由である。だが、殺人する行為は、自由ではない。 思考は本質的にアナーキーであるが、行動・行為は法に関係する。 とはいえこの思考と行為の二元…
アメリカ、ということで、とりあえずstudy用に、 古矢旬「アメリカ 過去の現在の間」岩波新書 藤原帰一「デモクラシーの帝国」岩波新書を購入。 新書買うのもひさびさな感じがする。学生のころは新書読んでいたのに、いつからか読まなくなっていた。 でも新…
三軒茶屋でべーに会うが、ちょっと最近、モードが、舞台じゃないもので、別れを告げw、古本屋へ行こうとしたのだが、なくなっていた。もう一軒はと思っていって見ると、なくなっていた。 以前、世田谷線世田谷駅に住んでいたころ、よくいっていた古本屋が、…
戦争の現場とは、殺戮である。 そこで被害にあうのは、女、子供、老人、「弱者」としての市井の人、「民衆」であり、「大衆」である。 被害者を巡る言説もまた考えなくてはならない。 同時多発テロの被害者を追悼するとき、なぜ飛行機の乗客が無視されるのか…
パレスチナ情報センターに、 イスラエル支援企業リストがある。 http://palestine-heiwa.org/choice/list.html コーラやマクドナルド、ディズニーは有名だが、マイクロソフトも、スターバックスも、Tシャツのヘインズやチャンピオンも、ネスカフェもエヴィ…
ベロウに戻れば、私はそれでもやはり追悼の拒否はできない。これは芸術のレベルと政治のレベルとは区分する必要があるということだ。 パウンドがファシストだから、ハイデガーがナチだから、セリーヌやジュネが反ユダヤ主義だから、かれらの仕事が、価値を失…
発生の契機を考えてみれば、すこしは、世界史的関係性において、ことが見えてくる。 歴史的由来からすれば、アメリカの敵は、ドイツナチスである。 ところで、アメリカがソヴィエトを敵視する理由はなんであったのか? それはプロレタリアート独裁、つまり専…